軍艦の事故
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本記事では軍艦の事故(ぐんかんのじこ)について記述する。軍艦とは戦闘を用途とする船であり、その性質上火薬・燃料油などの危険物を大量に搭載する。このため、一旦艦内で事故が発生すると、それはしばしば艦の存亡を危うくするほどの重大事態に発展する。
水上艦艇の事故
火災

一般に近代軍艦では火災の危険を局限するために可燃物を極力排除していることが多い(特にダメージコントロールの概念が浸透して以降)。しかし完全に排除することはできないし、船質が金属であるため何らかの要因により火花(スパーク(英語版))が発生する危険は常にある。また近年では電子兵装の比重が増し、この配線ケーブルなどが火災の発生源になった事例もある。
代表的な事例(国籍不同・発生日時順、以下同じ)
「ジョージ・ワシントン」での消火活動

横浜港ドイツ軍艦爆発事件ドイツ) - 1942年11月30日、死者102名横浜港新港埠頭で給油艦ウッカーマルク」が空の油槽内を洗浄中に爆発。漏出した燃料油や近隣の停泊艦船にも引火し、同艦と仮装巡洋艦トール」が全壊着底、他に2隻が全焼。油槽内のスケール(堆積物)掻き落とし作業時の金属摩擦で発生した火花が積荷のガソリンから気化した揮発性ガスへ引火したとの説が有力である[1]


ターナー(アメリカ駆逐艦)-1944年1月3日ニューヨーク沖に停泊中、爆発事故を起こし沈没、天候が非常に悪く猛吹雪の吹く中、沿岸警備隊に試験配備されていたシコルスキー R-4による輸血資材の空輸が行われ乗員の救助に貢献した。


いなづま日本警備艦) - 1960年6月5日、死者3名函館ドック(現・函館どつく)函館造船所第1号乾ドックで前日の「あけぼの」との衝突事故の修理中、室内清掃に用いていたガソリンに引火し火災となる。

しらね(日本・護衛艦) - 2007年12月14日横須賀基地に停泊中、無人のCICより出火し、CIC内機器が全損。無許可で艦内に持ち込まれ、艦内の電圧から通常の100Vに変圧されないままCICで使用されていた中国製冷温庫(飲料保温庫)の過熱が有力原因とされる[2][3]

ジョージ・ワシントンアメリカ原子力空母) - 2008年5月22日南アメリカ西岸沖の南太平洋で、通常無人である後部の補助ボイラ排気区画より出火。鎮火には12時間かかり、その後の修理に3ヶ月を要した。主因は艦内禁煙の規則に反する乗員の喫煙と煙草の不始末、副因に可燃物保管禁止区画への可燃性潤滑油の保管[4][5]

ボノム・リシャール(アメリカ・強襲揚陸艦) - 2020年7月12日サンディエゴ海軍基地での近代化改修工事中に爆発し炎上。鎮火に4日かかり、艦全体の6割が損傷した事から、退役が決定した。

船体構造に起因する事故

新技術の採用や無理な性能要求等に起因した設計上の不備を主たる原因とする事案である。
代表的な事例
「モニター」の海難

モニター(アメリカ・モニター) - 1862年12月31日、死者16名ノースカロライナ州ハッテラス岬沖を運送船「ロードアイランド」に曳航されて航行中、嵐により転覆沈没。モニターという艦種(同艦が嚆矢のためこの名がある)は重い砲塔と水線上装甲を持つ装甲艦でありながら、低乾舷・平底で航洋性を著しく欠く構造であった。

友鶴事件日本水雷艇) - 1934年3月12日、死者・行方不明者100名長崎県大立島南方近海で、荒天ローリングした水雷艇「友鶴」が転覆。随伴の佐世保警備戦隊旗艦「龍田」に曳航されて翌日佐世保海軍工廠の乾ドックに入渠、排水の上、艇内の生存者10名が救出された(他に3名が自力脱出)[6]。原因は高重心による復原力不足。ロンドン海軍軍縮条約の大型艦保有制限に対応した小型艦艇の武装過多が背景として指摘され、事故後多くの艦艇が重心低下・復原力向上の改修を迫られた。艇は翌年5月、改修の上再就役した。

天候・海象に起因する事故

軍艦も船舶であり、天候の影響から逃れられるものではない。高波による転覆・沈没事案は枚挙に暇がない。
代表的な事例


開陽丸江戸幕府汽走フリゲート)と神速丸(江戸幕府・運送船) - 1868年12月28日・1869年1月4日明治元年11月15日(旧暦)、「開陽丸」が蝦夷地江差沖に錨泊中、北西の地方風である「たば風」により走錨し座礁(約10日後に沈没)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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