軍服_(ドイツ)
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ドレスデンの軍事博物館に展示されている各時代の軍服。左から軽騎兵、陸軍歩兵(第一次世界大戦初期)、空軍空挺兵(第二次世界大戦期)。

ドイツの軍服では、軍隊に制服が導入された17世紀から現在に至るドイツにおける軍服の変遷、および各国への影響について述べる。また、特にヘルメットについては「ドイツ軍のヘルメット」も参照。
ドイツ連邦以前(?1815年)

17世紀に入った頃からヨーロッパの軍隊では兵士が着る服の色の統一が図られるようになり、やがて仕立ても標準化されるようになった。そして、ドイツの一部領邦ではオランダデンマークと並んで最も早く服の色の統一が図られたとされている[1]

1660年代からフランスルイ14世が行なった軍制改革によって近世ヨーロッパの軍制が確立し、その新しい服装(ジュストコール)もプロイセン王国および神聖ローマ帝国たるドイツの各領邦に制服として採用された。一方のフランス軍も七年戦争以降、衛兵隊の上衣にプルシアンブルー(ドイツ語ではプロイシッシュブラウ、ドイツ語: Preusisch Blau)と呼ばれる紺青の軍服を導入する[2]など相互に影響し合っていた。しかし1806年にプロイセン王国がナポレオンに敗北するとプロイセン軍は消滅。程なくゲルハルト・フォン・シャルンホルストによって再建された新生プロイセン軍は、エポレット、シャコー帽、燕尾服型の上衣(コレットと呼ばれた)など完全なフランス式となる[3]。一方で、フランスを良しとしない反仏義勇軍は学生帽から発展したシルムミュッツェ(官帽)、市民の上着から発展したユーバーロック(ドイツ語: Uberrock、フロックコート)など独自の制服を有し、ナポレオンに反攻を開始した1813年以降、これらは愛国的な軍服として国民軍(後備軍)制服に導入された[4]

普墺戦争でオーストリアを、普仏戦争でフランスを下すとその影響力は強まり、「ドイツ式」軍服がヨーロッパ各国に採用されるようになる。以降、ドイツ帝国が崩壊する第一次世界大戦まで「ドイツ式」が軍服の流行を主導する。

フランス革命前後より前合わせをホックで留める様になり、前留に連隊色を配した。擲弾兵はグレナディアーミュッツエ(ドイツ語版)と呼ばれる冠を被った。

プロイセンの軍服

近衛兵(1701年)

胸甲騎兵(1715年)

ユーバーロックを着用するフリードリヒ2世(1780年代)

18世紀末のプロイセン第35フュージリア連隊将校および擲弾兵の軍装(1785年)

槍騎兵(1760年ごろ)

ボシュニャク連隊の騎兵(1786年)

親衛騎兵(1806年)

M1806略装の将校。14年より襟は閉じる。カール・フォン・クラウゼヴィッツ

アーダルベルト・フォン・プロイセン

神聖ローマ帝国およびライン同盟の軍服

ドイツの各領邦ではナポレオンの侵攻を受ける以前よりフランスの影響が強く、ウーランカ(ナポレオンジャケット)が広く浸透していた。バイエルンでは1789年より歩兵連隊で袖口・襟・折返しを統一させた軍服が制定される。外套は白色であったが、1799年よりライトブルーに切り替えられた[5]

バイエルンの軍服

左より胸甲騎兵、軽騎兵、竜騎兵(1792年)

歩砲兵(1812年)


ザクセンの軍服

軽騎兵(1784年)


その他諸邦の軍服

ブランデンブルク辺境伯領胸甲騎兵(1809年8月)

1813年解放戦争へ出征するイェーナの大学生。リュッツォウ義勇軍の服に着替えている

ドイツ連邦時代領邦のうち、オーストリアの軍服については「軍服 (オーストリア) 」を参照

ナポレオンの支配を脱したドイツ諸領邦は、軍服の脱フランス化を推進した。1842年、プロイセンはシャコー帽に代わってピッケルハウベと呼ばれる特徴的な槍つきヘルメットを導入。また1842年10月23日、コレットに代わり「ヴァッフェンロック」(ドイツ語: Waffenrock)と呼ばれる軍服を採用[6]。生地はドスキン製で、直径25ミリのボタンが9個入る。着用対象は歩兵、砲兵、輜重、工兵[6]、竜騎兵は水色、猟兵は深緑。襟の高さは7センチで、1867年以降は襟が4.75センチに下がる。諸領邦でも1849年以降広まった[6]。マクデブルクは1864年よりダブルブレスト。ヴュルテンベルクでもダブルブレスト。ブラウンシュヴァイクは肋骨服型。

プロイセンの軍服

19世紀中頃のプロイセン第3軽騎兵連隊

19世紀中頃のプロイセン第4胸甲騎兵連隊

19世紀中頃のプロイセン歩兵科における衛生下士官

初期型ピッケルハウベの近衛猟兵大隊(英語版)士官

19世紀中頃の騎馬猟兵

1868年当時の野戦砲兵第4連隊のヴァッフェンロックとサーベル一年志願兵だったフリードリヒ・ニーチェが除隊する際に撮影

普仏戦争従軍時のフリードリヒ3世


バイエルンの軍服

ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)

オットー王子(後のオットー1世歩兵の軍服

オットー王子(後のオットー1世槍騎兵の軍服

19世紀中頃の軽騎兵

バイエルン槍騎兵

バイエルン砲兵

普仏戦争でフランス騎兵に捕えられたバイエルン兵。


ヴュルテンベルクの軍服

近衛兵(左)、歩兵第1連隊

歩兵第1連隊の変遷

第1騎兵連隊(槍騎兵)の変遷

第2騎兵連隊(竜騎兵)の変遷


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