軍服_(ドイツ国防軍陸軍)
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ドイツ陸軍歩兵のイラスト(アメリカ陸軍情報部『JAN #1 UNIFORMS AND INSIGNIA』)ドイツ陸軍将校、歩兵下士官、外套の下士官のイラスト(同上)ドイツ陸軍戦車兵と突撃砲兵(同上)

本稿ではドイツ国防軍陸軍の軍服について記述する。
概要

古今東西様々なミリタリールックがあるが、その中でも人気が高いのが第二次世界大戦時のドイツの軍服であるとされる[1]。それはドイツ人の「制服信仰」と卓越した職人技が組み合わさって生み出され、優れた機能美があると評価される[2][3]

その第二次大戦ドイツ軍服の中でも雛型ともいうべきものがドイツ国防軍陸軍の軍服である。ドイツ軍服の魅力の一つでもあるが、ドイツ軍服は非常にバラエティーに富んでいることで知られている[1]。陸軍一つとってもその種類は非常に多い。灼熱の砂漠から極寒の地まで広大な領域の戦場で戦うことを余儀なくされたドイツ軍は、地形にあった軍服を次々と作らねばならなかった。通常野戦服を基本にして様々な軍服軍帽徽章防寒着などが作られた。戦車・装甲車搭乗員(以下戦車兵)突撃砲兵などは通常野戦服から大きく離れた独自の軍服を持った。

本稿ではまず様々な兵科や戦場で幅広く使用された通常の野戦服・軍帽・徽章・勲章・装備などについて解説し、その後特定の兵科・戦場・場合においてのみ使用された物を解説する。

ドイツ軍では下士官兵士は支給された軍服を着用し、将校は規定に沿った軍服を自分で仕立てるのが普通であった。そのために将校は被服手当を受けていた[4][注釈 1]。[先頭へ戻る]
通常の野戦服
支給野戦服M36野戦服、襟の内側にカラーが付属している
(ストックホルム陸軍博物館の展示物)

1933年にナチ党政権が誕生すると新しい野戦服 (Feldbluse) が検討され、いくつかの改良を経たのち、1935年9月5日にM36野戦服[注釈 2]が制定された[7][8][9]

野戦灰色(フェルトグラウ、フィールドグレー)を基調としたレーヨンが5%混ざったウール製の軍服であり、襟と肩章の部分だけ暗緑色の上質なラシャ製だった[8][10]。襟は閉じても開襟でもよかった[11]。後述の襟なしシャツと併用する都合上、上衣の襟の内側には汚損防止用のカラーを取り付けることができた。前ボタンは5つ、波型のふた付きプリーツ(英語版)ポケットが両胸・両裾に合計4つ付いており、右胸ポケットの上部には鷲章が付いていた[8][12]。腰回りの左右前後、計四ヵ所には、上下に三個連なった小穴があり、後述の装備ベルトを支えるための金属製フックを設けた。このフックは上衣内側の肩から布ベルトでサスペンダーのように吊るし、高さを調節したフックの先端を三個の小穴のうち一個を通して外部へ出すようになっていた。上衣背面の裾にはセンターベントが設けられている。

ズボンははじめストーングレー色で上着と少し色が異なっていたが、後にこのズボンは廃止され上衣と同じ野戦灰色に統一された[13]。ズボンには左右にふたのない切り込みポケット、さらに臀部の右部分に大きいポケットが付いていた[8][14]。また前部右側には懐中時計用の小さなポケット(フォブ・ポケット)が付いていた。ズボンのウエスト部分の後ろ側にはバックル付きの布バンドがついており、これでズボンを締めた[8][12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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