軍旗
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2007年パリ祭(7月14日)においてシャンゼリゼ通りを軍旗を先頭に行進する各国軍の隊列。オーストリア軍同上。手前はブルガリア軍、奥はスペイン軍スペイン外人部隊

軍旗(ぐんき)とは、軍隊(特に陸軍)および軍隊内の部隊を表章する旗章近代的陸軍の登場以降は伝統的に連隊(聯隊)を恒久の基本的部隊単位としてきたことから、連隊ごとに授与されるものは特に連隊旗(聯隊旗、れんたいき)とも称される。
概説同上。ドイツ連邦軍の軍旗(旗手および誘導将校以下30名は連邦陸軍第26空挺旅団第261降下猟兵大隊所属の降下猟兵

軍旗は、指揮官・部隊長の所在を明示する目的や、軍隊・部隊の精神的支柱として古くから用いられており、一例として古代ローマローマ軍)の各軍団は固有の軍旗を有していた。世界において軍旗はその軍隊の象徴であると同時に、その国の国旗に準じ国家等を表す重要な存在である。

多くの国の軍隊において、軍旗は程度の差はあれど神聖視される存在であり、原則として再交付は許されず、戦闘において敵軍の軍旗は鹵獲するべき対象となった。また、敵軍に軍旗を奪われることは大変な恥辱とされ、軍旗は命を賭して守護すべきものであると考えられる傾向があった。特に軍旗が畏敬されていた軍隊としては、近世および近代フランス軍ソ連赤軍大日本帝国陸軍などがあった。また、プロイセン以降の歴代ドイツ軍では、主に新兵が軍旗に対して宣誓を行い国家等に対し忠誠を誓う「忠誠宣誓(軍旗宣誓)」が、ほか17世紀以降のイギリス軍では近衛師団隷下の各連隊が軍旗を先頭に分列行進を行い、英国王の閲兵を受ける「軍旗敬礼分列式」[1]という軍旗をメインに用いた伝統的な儀式が現代に至るまで行われている。

かつては演習地戦場において、部隊長(連隊長)のあるところには常に軍旗(連隊旗)が掲げられ、部隊拠点の所在を明示していたが、戦術の変化や兵器および通信機器の進歩により意味を失った。また連隊長や連隊本部の所在を敵に示してしまい攻撃の格好の標的となること、上述の事情から軍旗の死守に拘泥することで臨機応変な戦闘行動や俯瞰的な作戦指揮を阻害すること、そして万一奪取されるなどの事態が起きた場合に将兵士気に関わることなどから、列強各国戦闘教義が進化した第二次世界大戦以降は概ね戦場に掲げられることは少なくなっている。現代では単に軍隊・部隊のシンボルとして、パレード観兵式観閲式)や栄誉礼などの儀式(式典)・行事のみで使用されることが多い。

同様の物として、日本の警察機動隊で使われる「隊長旗」(伝令が保持し、周囲に隊長の居場所を知らせる)がある。
軍旗の一覧ヴェキシラリウス(英語版)を再現した役者詳細は「軍旗の一覧」および「軍艦旗」を参照
歴史

少なくとも青銅器時代以降には、軍隊を示す紋章(フィールドサイン)が戦争で使用されていた。フィールドサインとしての旗の使用は、中国やインドあたりのアジアの鉄器時代に登場したのが明らかになっている[2]

それ以外の地域で旗が使用される前は、ローマ軍ウェクシルムのように、棒の先端に垂幕をたらしたヴェクシロイドや、像を取り付けた棒(シグナム、signum、持ち手はシグニフェル(英語版)と呼ばれ、更に掲げる物によってイーグルスタンダード(アクィラ)持ちはアクィリフェル、皇帝のイメージとなる物を掲げたImaginifer、龍の飾りを掲げたDraconarius等が居た)が使用された。

軍旗の使用は中世の頃に一般的になり、盾の上に示された紋章を補完するものとして紋章と共に発展した。また像に関しては、中世の騎士はの上に取り付けることもあった。
大日本帝国陸軍軍旗(陸軍御国旗)の意匠
縦横比は 1:1.3636現存する唯一の軍旗。
歩兵第321連隊(歩兵第三百二十一聯隊)の軍旗。本軍旗は旗竿のみが戦後の複製品であり、それ以外の旭日旗・房・竿頭は全て当時の実物である。靖国神社遊就館所蔵。満州事変における歩兵連隊の軍旗。連隊の進軍時はその隊列の先頭に軍旗を掲げた

大日本帝国陸軍は、日本史上において先駆けて旭日旗を考案・採用し、「軍旗(旧称・陸軍御国旗)」として制定した。意匠は国旗である日章旗に準じ日章は中心に位置し、十六条の光線(旭光)を放つ。なお、海軍はその陸軍に遅れること19年後の1889年(明治22年)、(陸軍の)「軍旗(陸軍御国旗)」に倣い旭日旗を「軍艦旗」として制定した(日章位置は旗竿側に寄る)。

「軍旗」および「軍旗の意匠の旭日旗」は、五芒星(五光星)や桜星桜花)とともに、明治最初期から「帝国陸軍の象徴」として国民に広く知られており、戦争画写真軍歌メディア新聞ラジオ放送ニュース映画など)、兵営公開イベントを兼ねた軍旗祭などを通して一般市民からも親しまれていた存在であった(#軍旗の意匠)。 

なお、制式・正式の名称は「軍旗」であるが「連隊旗(聯隊旗)」の通称・呼称も採用当時から多々使用されている。

(常備)歩兵連隊軍旗

騎兵・(砲兵)連隊軍旗

日清戦争乙未戦争)における近衛師団の近衛歩兵連隊および、同連隊の軍旗を描いた錦絵右田年英画、1895年(明治28年))

シベリア出兵における騎兵連隊および、同連隊の軍旗を描いた記録画

1932年(昭和6年)当時の歩兵連隊軍旗と連隊旗手

1944年(昭和19年)当時の歩兵連隊軍旗と連隊旗手

軍旗の歴史

1870年6月13日(明治3年5月15日) - 陸軍国旗章並諸旗章及兵部省幕提灯ノ印ヲ定ム(太政官布告第355号)により「陸軍御国旗(陸軍御國旗)」が各「大隊旗」とともに定められる。

この陸軍御国旗は、縦44(約1.33m)で横5尺(約1.51m)の房なし十六条旭日旗である。なお、この旗の制定当時は御親兵が正式に発足する以前であり、考案は兵部省による。


1874年(明治7年)1月23日 - 初めて軍旗が近衛歩兵第1連隊及び近衛歩兵第2連隊に対し、明治天皇親臨のもと日比谷操練所にて親授された。

親授に際して、近衛歩兵第1連隊は明治天皇より「近衛歩兵第一連隊編制成ルヲ告ク 仍テ今軍旗一旒ヲ授ク 汝軍人等協力同心シテ益々武威ヲ発揚シ以テ国家ヲ保護セヨ」の勅語を賜り、連隊長野崎貞澄陸軍歩兵中佐は「敬デ明勅ヲ奉ズ 臣等死力ヲ竭シ誓テ国家ヲ保護セム」と奉答した。


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