軍刀
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九五式軍刀(一番下)と将校用軍刀1905年1月、旅順攻囲戦水師営の会見において、ロシア帝国陸軍中将旅順要塞司令官アナトーリィ・ステッセリ) らと写る、第3軍司令官乃木希典陸軍大将。以下日露陸軍の将校。通常、敗将は勲章や剣を外すが、乃木は体面を重んじ帯剣を許した。日露両軍ともに軍刀を佩用している1945年7月、戦利品として入手した日本軍の軍刀(九五式軍刀)を持ち記念撮影中のオーストラリア陸軍将兵

軍刀(ぐんとう)とは、用に供された刀剣類の総称。戦闘や指揮時の装備品、正装礼装儀仗時の服飾用として使用される、のつけられていない模擬刀身仕込みの儀礼用の刀剣・短剣類も軍刀に含められるが、銃剣ナイフ類は範囲には含まない。

本項では主に日本の軍刀について詳述する。
概要陸軍の昭和9年ないし13年制式の将校准士官刀(上段、将佐尉官准士官用)と、明治19年制式の将校准士官指揮刀(下段、尉官准士官用)海軍の昭和10年制式の士官特務士官准士官刀1937年、日本刀を仕込んだ明治19年制式の軍刀(佐官用)を佩用する陸軍歩兵大佐脇坂次朗歩兵第36連隊長、中央)。後方は昭和9年制式刀や九五式軍刀と思われる軍刀を佩用した将校・見習士官下士官、および三十年式銃剣を着剣した三八式歩兵銃を持つ下士官・。連隊長を筆頭に「軍旗敬礼1945年終戦直後、イギリス・インド軍中将らと写る、陸軍少将沼田多稼蔵南方軍総参謀長(左手前)と海軍少将中堂観恵第13根拠地隊参謀長(右手前)。ともに太刀型(昭9制/昭13制刀・軍刀)の軍刀を佩用しているが、前者は陸軍将校用の略刀帯を上衣の下に、後者は海軍用の斜帯付き士官刀帯を上衣の上から締めている。陸軍将校(中央着席)と海軍士官(右端)。陸海軍では軍刀の佩用方法や歩行時の保持動作が異なり、佩環が前者では一か所、後者では二か所となっている。刀を保持する海軍士官(右端)。陸軍と異なる海軍独自の佩用・保持の仕方

明治維新後、富国強兵のもと近代的な軍隊を創設することが目指され、欧州列強国の指導を受けた日本軍喇叭から火砲に至るまで装備の西洋化を推し進めた。まずフランスに範をとった帝国陸軍1875年(明治8年)の太政官布告にて軍刀(「刀」)を制式し、将校士官)が佩用(帯刀)する刀[注釈 1]は外装・刀身ともに純サーベルとした[注釈 2]。なお、同布告では野戦や常勤時に使用する軍刀とは別に、正装時に用いる「正剣」も制式されており(のちに廃止され刀に一本化)、様式はサーベルではなくエペとされていた。

しかし西南戦争における抜刀隊に対する評価[注釈 3]や、日本人古来の刀に対する認識や操法(両手握り)などから、外装は制式のサーベル様式を踏襲しながらも、刀身を日本刀に変え佩用する事が次第に一般的となっていった。更に1935年(昭和10年)前後には、陸海軍ともに従来のサーベル様式外装に代わり、当時の時勢と戦訓を反映した日本古来の太刀を模した外装が制定された。

時代や状況にもよるが、基本的に軍刀を佩用できた軍人は陸海軍の兵科兵種)・各部/を問わない全ての将校/士官(海軍では特務士官を含む)と准士官、陸軍の見習士官、海軍の少尉候補生(短剣)、陸軍の士官候補生陸軍士官学校本科)生徒のうち兵科(兵種)が騎兵輜重兵である者、海軍の海軍兵学校生徒(短剣)。更に陸軍の下士官においては、乗馬本分者たる騎兵・憲兵・輜重兵といった特定の兵科(兵種)に属する「帯刀本分者」と、徒歩本分者である歩兵などでも連隊大隊本部附、外居住者たる曹長を中心とする一部の上級下士官も該当する。

下士官兵(帯刀本分者)の軍刀は基本的に官給品であり管理も兵器扱いであるが、将校准士官の軍刀は上述の1875年の太政官布告以降、陸海軍解体に至るまで基本的に陸海軍服制上の制式であり、そのため純粋な兵器ではなくあくまで軍服などと同じ軍装品扱いであった。すなわち他の軍装品一式と同様に官給品ではなく私物であったため、階級に見合う軍刀を自弁調達[注釈 4]する必要があった。外装など軍刀としての形は大まかには制式されていたものの、軍服と同じく各個人の嗜好や趣味、入手事情により実に様々な拵や刀身の軍刀が存在した。また、前述の通り下士官兵のうち対象者には官給品の軍刀が支給されていたが、上級下士官や、外地・前線にいる者は帯刀本分者でなくても私物として誂え軍刀を佩用する事例があった。

20世紀以降は兵器の近代化と進化した戦闘ドクトリン騎銃とともに軍刀を主装備とする陸軍の花形兵科であった騎兵の衰退により、概ね第一次世界大戦から戦間期を境に各国では野戦における軍刀の使用のみならず、常勤時の佩用までも廃止する傾向にあった。第二次世界大戦の時点で軍刀を軍人の主要装備とし、また将校准士官が軍装品として常時佩用していたのは日本陸海軍と幾つかの国のみであった[要出典]。第二次大戦後の現代では、日本の自衛隊を含む各国軍とも完全に儀礼用の服飾品という扱いとなっている。「軍服 (大日本帝国陸軍)」および「軍服 (大日本帝国海軍)」も参照

1875年当時の陸軍の各種刀

1904年当時の陸軍将校准士官の軍刀・指揮刀。いずれもサーベル様式だが、片手握り用と両手握り用とが混在している

1930年代中期から終戦にかける当時の陸軍将校准士官の軍刀。上段は昭9制/昭13制刀(鞘には革覆を付している)、下段は明19制刀(尉官准士官用)

1938年当時の陸軍将校准士官の軍刀。昭9制/昭13制刀(陸軍航空兵中尉谷島喜彦)

1944年当時の陸軍将校准士官の軍刀。昭13制刀を佩用する陸軍少尉と見習士官たる陸軍曹長(小野田寛郎)。見習士官は釣革に編み込みの革製グルメットを使用

1945年9月、オーストラリア陸軍中将ホレス・ロバートソンに対し、降伏の証として自身の軍刀(昭9制/昭13制刀)を手渡す陸軍中将安達二十三第18軍司令官

1945年10月、英印軍少将A・W・クローサーに対し、降伏の証として自身の軍刀(昭9制/昭13制刀)を手渡す陸軍中将河田槌太郎第31師団長

軍刀の種別
大元帥佩刀昭和9年制式の大元帥佩刀を佩用する昭和天皇。軍刀の鞘にある佩環は、徒歩時には刀帯・略刀帯のフックに掛けられるが、馬上ではフックから外されて釣革で吊り下げられる。騎馬本分者の釣革には金属製の鎖(グルメット)が用いられた。

陸海軍の大元帥たる天皇は大元帥佩刀(大元帥刀、天皇佩刀)を佩用した。

大元帥佩刀の外装は陸海軍の軍刀剣類に準じ、陸軍式御服着用時は陸軍の刀を、海軍式御服を着用時は海軍の刀を佩用する。
元帥佩刀詳細は「元帥杖#大日本帝国の元帥刀」を参照

元帥たる陸海軍大将は元帥佩刀(元帥刀)を佩用した。


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