軍事機密
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軍事機密(ぐんじきみつ、: military secrecy)とは、

軍事上の秘密情報[1]

軍事上の秘密に等級をつけ重要度を区別したときの名称の一つ。

「軍機」と略すことがある。
概説第二次世界大戦下の米軍基地のトイレの掲示。「お前が喋りすぎたら、この者が死ぬかもしれない」といった意味の文が鏡の上下に書かれている。

軍事機密とは軍事上の秘密情報のことである[1]。英語ではmilitary secrecyと言い、フランス語ではsecret defenseなどと言う。

軍事機密とは、具体的には作戦内容やその指令書、兵器の詳細な構造を記した設計図性能情報部隊の配置・編制・人事やそれについて記したファイル等々、他国に知られると軍事上不利になる情報のことである。

これらの機密事項が漏洩すると、国家の存亡にも関わる重大な損害を被る可能性が高いため、多くの国でこうした情報が際限なく漏れることを防止するための法律を定めている。故意または過失で漏洩した場合や、情報を記録したファイルを盗難や置き忘れなどで紛失した場合、特に厳罰に処せられるようになっていることが多い。

軍事機密というのは、視点を変えると、他国(敵対国等)の軍事機密を入手すると軍事上優位に立てる可能性が増す、という性質がある。軍事上の秘密情報を入手するための活動は諜報と呼ばれている。そうした活動を行う人物は一般には「諜報員」「スパイ」などと呼ばれている。

軍事機密の漏洩を防ぐことや、他国による自国に対する諜報活動を防ぐ活動を防諜という。

旧日本軍でもこうした秘密情報について、秘密の度合い、範囲をあらかじめ指定し管理した。諜報活動を行う人物を「軍事探偵」「諜報員」などと呼んだ。
旧日本軍における秘密
軍機保護法

日本では1899年明治32年)に公布され、1937年昭和12年)8月14日に全面改正された「軍機保護法」によって規定された。この法律によって、陸海軍大臣の定めた軍事上の秘密に対する、漏洩・探知・収集等について罪を規定され、最高刑に死刑も設けられていた。

第1条に軍事機密とは「作戦、用兵、動員、出師其ノ他軍事上秘密ヲ要スル事項又ハ図書物件」とされ、第8条では軍港軍用航空機飛行場等の軍事施設の撮影・模写等が規制された。軍部での情報の取扱には秘密の重要度により5段階に区分し、上から「軍機」「軍極秘」「極秘」「秘」「部外秘」に分かれていた。天皇の裁可を経て参謀総長軍令部総長が発する大陸命・大海令は、具体的な作戦について記されていることから最高の「軍機」とされた。ゾルゲ事件リヒャルト・ゾルゲ尾崎秀実もこの法律によって処罰された。

終戦により軍機保護法は廃止されたが、戦後に創設された防衛庁(現防衛省)・自衛隊においても自衛隊法・「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」などによって防衛秘密の漏洩についての罪が規定されている。

軍事機密は戦時・平時によって範囲が変わり、平時には公開されていた情報も戦時には機密に指定されることがあり、例として地図気象情報などが挙げられる。

1937年(昭和12年)10月18日、大日本帝国陸軍陸地測量部発行の「参謀本部地図」のうち東京横浜大阪神戸近傍の地図を、無償も含めて発売や頒布を禁止した(発禁実務は内務省)。

気象情報は航空作戦を行う際に重要な情報となり、作戦の成否に関わることから戦時においては秘匿される。日本では太平洋戦争の始まった1941年(昭和16年)12月8日からラジオ新聞での天気予報は行われなくなった。この状態は終戦まで続き、再開されたのは1945年(昭和20年)8月22日からであった。実に3年8ヶ月もの間市民は天気予報を把握できなくなったわけだが、毎年のように台風の被害がある日本では戦時中に2000人を越す被害を出したという。これは軍用資源秘密保護法によって規定されていたが、1899年(明治32年)公布の軍機保護法には定められておらず、1937年(昭和12年)の改正によって指定区域内での気象観測が制限され、1938年(昭和13年)に新たに軍用資源秘密保護法が制定されたことによって気象情報全般の規制が行われることとなったもの。この他、1944年(昭和19年)12月7日に発生した東南海地震の被害状況についても軍事機密とされ一般に公開されることはなかった。


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