軍事指揮官の一覧
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軍事指揮官の一覧(ぐんじしきかんのいちらん)は、歴史上の軍事指揮官の一覧。軍事指揮官とは、単なる軍人ではなく、一定数以上の兵員によって構成される部隊を率いた軍人をさす。また、部隊を直接指揮しなくとも参謀軍師のように間接的に指揮した人物も含む。軍事指揮官のうち、多大な功績を立てたものは名将と呼ばれ、致命的な損失を招いたものは愚将と呼ばれる。将才に準じて、猛将、智将、勇将、謀将、良将等の呼称をされる場合もある。

特定の時代に関する人物については関連項目を参照。
紀元前

ナルメル - エジプト初期王朝時代のファラオである。軍を前線に率い、上下エジプトを統一し、エジプト第1王朝を創設したとされている。

婦好 - 中国史に登場する最初の女性軍事家。

呂尚 - 周の軍師で建国の功臣の一人。

トトメス3世 - 古代エジプトのファラオ。「エジプトのナポレオン」と呼ばれることも多い。

サルゴン (アッカド王) - 古代メソポタミアの王。アッカド帝国を建国した、彼は「上の海(地中海)から下の海(ペルシア湾)までを征服した王」と記録される。

ナラム・シン - 祖父のサルゴンと並んで、アッカド帝国史上最も有名な王であり、大規模な遠征を繰り返しアッカド帝国の最大版図を築いたが、またメソポタミア史上初めて自らを神とした王でもある。

ラムセス2世 - エジプト新王国第19王朝のファラオである。積極的な外征を行い、ヌビアやリビュア、そしてアジアなどにおいてエジプト新王国の勢力圏を延ばした。

ハンムラビ - メソポタミアに勢力を拡大しバビロニア帝国の初代王となる。

センナケリブ - 新アッシリア帝国の王である。全てのアッシリアの王たちの中でも最も有名な王である。彼はアッシリア王たちの中で最も強力かつ広大な版図を統治した王の1人であったが、軍事遠征を積極的に行い、エルサレム包囲戦でも有名。

アッシュールバニパル - 新アッシリア時代のアッシリア王。彼は各地に遠征を行ってアッシリアの支配地を拡大した。

ネブカドネザル2世 - 新バビロニア王国の2代目の王である。紀元前606年から605年にエジプト軍に撃退されると、また彼にまつわる伝説として、彼がバビロンの空中庭園を造営したというものがある。

キュアクサレス2世 - メディア王国の王。アッシリア帝国を滅ぼし、スキタイ人による支配からメディアを解放した。

メディアのハルパゴス - メディア王国およびアケメネス朝ペルシア王国の将軍である。彼はメディアに反旗を翻したキュロス2世に協力し、メディアを滅ぼした。

キュロス2世 - アケメネス朝ペルシアの初代国王。古代エジプトを除く全ての古代オリエント諸国を統一して空前の大帝国を建設した。現代のイラン人は、キュロスをイランの建国者と称えている。

トミュリス - マッサゲタイ族の女王。ペルシアの王キュロス2世率いるペルシア軍を破り、キュロスを殺害した。

ダレイオス1世 - ペルシア王。アケメネス朝の最盛期を築く。

クセルクセス1世 - ペルシア王。ペルシア戦争を本格化させる。

レオニダス1世 - ペルシア戦争のスパルタ軍司令官。テルモピレーの戦いで奮戦するも敗死。

テミストクレス - ペルシア戦争のアテナイ軍司令官。サラミスの海戦で勝利。

士会 - の将軍、政治家。史記春秋左氏伝などに度々登場する。

司馬穰苴 - の将軍。兵法書『司馬法』の著者。

伍子胥 - の将軍、政治家。祖国に対する復讐で知られる。

孫武 - 呉の将軍。兵法書孫子』の著者。

范蠡 - の将軍、政治家。越の王勾践を補佐し、呉を滅ぼした。

エパメイノンダス - テーバイの将軍。レウクトラの戦い斜線陣を用いて勝利。

呉起 - ・楚の将軍。


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