軍事心理学
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軍事心理学(ぐんじしんりがく、:Military psychology)とは軍事に関連する心理学的な問題を研究する応用心理学の一部門である。国防心理学、戦場心理学、ミリタリー心理学とも記述される。
概要

軍事心理学は心理学的な軍事問題を研究する応用心理学であり、軍事要員としての適性や軍事行動に伴う様々な心理学的な課題について研究が行われる。具体的には将兵の選抜と配置、軍事教練の過程や効果、偽装の過程や効果、戦闘ストレス、心理的レジリエンスなどの精神衛生、士気や統率といった集団行動、人間工学の兵器設計への応用、軍隊生活などが研究の対象となる。また、戦争において兵士らが「敵」などを殺傷したり、自らが死の瀬戸際に追いやられたり、仲間が目前で死亡したりした際に生じると思われる戦争神経症、戦闘ストレス、トラウマPTSDに関する研究も行われている。近年では、軍人・自衛官の自殺防止、ハラスメント防止、違法行為防止のための心理教育法の開発、自然災害や戦争などにおける被災者の支援、軍人・自衛官の家族のレジリエンスとウェルネス向上法の開発も重要な研究課題である。さらに、先進諸国では心理学専門軍人が戦闘部隊の組織化や指揮官の意思決定の補佐を行っている[1]。NATO加盟国をはじめ自衛隊でも女性軍人・自衛官の数が増えつつあり、ジェンダー心理学、ワーク・ライフバランスの心理学研究も盛んである。仮想現実(VR)ゴーグルを利用したストレス・コントロールの各種訓練法も米軍や中国人民解放軍などで進行中である。
歴史
欧米

1904年に勃発した日露戦争においてロシア軍では軍医が戦場で負傷兵の治療活動を行った。また日本軍とロシア軍の双方に他国(英国,フランスなど)の観戦武官が加わり,負傷兵に身体的損傷がないのに異常行動を示す者がいることに注目し記録した。第一次世界大戦中、塹壕を切削しながらの攻防と兵器の進化にともない、砲弾の衝撃で精神的外傷(砲弾ショック)を負った兵士が大量に出てきたために連合軍では心理学的な研究・対応の必要性を認めるようになる[2]

1917年に第一次世界大戦に参戦した米国では米国心理学会会長のロバート・ヤーキースが陣頭指揮を執り、国立学術研究会議の心理学部に13の委員会が設置され、徴募兵の知能検査や軍事教練についての研究が本格始動した。陸軍アルファ検査(英語の読み書きができる者が対象)とベータ検査(英語の読み書きができない者が対象)はこの過程で開発されたものであり、175万人もの兵士に対して行われ、統計学の手法も取り入れて個人差測定の可能性を生み出し、以後の知能検査の手法にも参考にされた。

第一次世界大戦後にはドイツ国防軍が1926年に将兵に対して適性検査を実施し、1933年には軍内に正式な軍事心理学の研究機関が設立された。また第二次世界大戦において米国は国立学術研究会議に非常時心理学委員会を設置し、軍事心理学の見地からの指導が行われた。また科学研究開発局(OSRD)による契約研究が開始され、航空適性、夜間作戦、人間工学、態度動機づけの心理学研究が実施された。

欧州と太平洋に分かれて戦闘を展開した米国は兵士の疲弊を軽減する方策を開発するよう心理学者スキナーに要請した。スキナーは列車で移動中に窓の景色を眺めていた時,空を飛ぶ鳥の群れを見て,オペラント条件づけで鳩が敵の軍艦を目視したら嘴(くちばし)でボタンをつつくよう調教し,複数の鳩をミサイルの先端に入れる爆撃装置を開発した(ピジョン・プロジェクト)。現代の無人爆撃機(ドローン)の先駆けである。だが,その装置は実用化されなかった。米国マンハッタン計画で原子爆弾の実用化の目途がついたからだ。日本への原子力爆弾の投下計画にも軍事心理学者が参画した。日本の戦意を打ち砕くために,日本の地理,国民性,歴史と文化,産業,高等教育,鉄道路線など多様な情報を分析し,第一ターゲットは京都市に絞られた。予定された爆心地は現在の鉄道博物館や京都水族館のある梅小路公園であった。そのため京都市もたびたび空襲を受け,また原子力爆弾の形をしたパンプキン爆弾も京都市に投下された。だが陸軍長官スティムソンの判断で計画が変更され,悲劇は広島市と長崎市で起こった。

第二次世界大戦後にも限定戦争ゲリラ戦、テロリズムなどの新しい軍事問題の出現によって心理学もそれらに対応した研究が行われている。その手法は統計学医学生物学社会学が取り入れられている。また、冷戦崩壊後の国際社会において、イスラム過激派国際テロリストによる卑劣で残虐なテロ行為が、米国やイスラエルなどで多発しているため、イスラエルや米国などにおいては、イスラム教やイスラム教徒というだけで恐怖や嫌悪という情動が発生するイスラモフォビアが発生している。

ベトナム戦争では戦時中,戦後に大量の米軍帰還兵が極度の戦闘ストレス反応を示し,社会生活で不適応を起こしたことから,彼らを救済するために心的外傷後ストレス障害(PTSD)という精神疾患の診断名が,1980年に出版された米国精神医学会の診断マニュアル「DSM3」に登場した。PTSDは1990年代以降の,湾岸戦争やイラク・アフガニスタン戦争でも多発し,米軍兵の中から大量の自殺者が現れ,現在も米国では重大な社会問題となっている。現在,米国国防省や英国国防省では,戦闘ストレス・コントロールやPTSDの予防・軽減のために有効な教育プログラムの開発に注力している。対症療法よりも予防法の強化である。
日本

第一次世界大戦直後にアメリカの各地の心理学者、特に軍事心理学者を訪問した松本亦太郎が、帰国後、海軍省および海軍で報告講話を行った [3]。松本が指導し、1918年に日本海軍が実験心理学応用調査会を設置したことに日本の軍事心理学の研究が始まる。また帝国大学においても航空研究所心理学部が軍事心理学の研究に取り組んだ。1930年には内山雄二郎が『戦場心理学』を著し、さらに小保内虎夫他が1941年に『国防心理学』を著している。海軍技術研究所、海軍航空技術廠陸軍航空技術研究所、陸軍教育総監部で心理学者の協力の下で航空適性検査、酸素欠乏、加速度影響、落下傘部隊の落下時の心理、射撃照準、偽装などが研究される。


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