車谷浩司
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車谷 浩司(くるまたに こうじ、1971年8月29日 - )は、日本音楽家BAKUSpiral Lifeでの活動を経て、1996年にAIR(エアー)名義でソロデビュー[1][2]。2009年2月にAIR名義での活動を終了し、2010年2月よりLaika Came Back(ライカケイムバック)名義で活動[1]栃木県宇都宮市出身[2]
略歴
BAKU - Spiral Life

1990年にBAKUギタリストとしてメジャー・デビュー。1992年にBAKUは解散。翌1993年に石田小吉Spiral Lifeを結成。1996年にSpiral Lifeは活動を休止する。
AIR

1996年6月、ソロ・プロジェクトAIRの名義でセルフタイトル・ミニアルバム『AIR』をポリスターから発売し、デビュー。同年11月11日に1枚目のフルアルバム『WEAR Off』を発売。なお、AIRのサポートメンバーは渡辺等Bass)、佐野康夫Drums)が担当。

1997年は3枚のシングル「TODAY」、「KIDS ARE ALRIGHT」、「MY RHYME」を発売し、10月29日に2枚目のアルバム『MY LIFE AS AIR』を発売。

1998年2月、アメリカの映画『スポーン』のイメージアーティストに選ばれ、同映画のイメージ・ミニアルバム『SPAWN』を発売。同年8月にシングル「Heavenly」を発売し、9月23日に3枚目のアルバム『Usual tone of voice』を発売。

1999年は自身のレーベル「FREEDOM」を設立し[2]、3枚のシングル「LIBERAL」、「No more Dolly」、「6453」、9月9日に4枚目のアルバム『FREEDOM/99』を発売。

1999年11月から2000年5月にかけて3枚のシングル「Rush and Rush」、「NEO KAMIKAZE」、「Crawl」を発売し、2000年4月29日に東京ベイNKホールでライブを行う。同年7月12日にはシングル「New song」を発売。表題曲は326が作詞を担当し、『2000・夏未来箱!!』(TBS系)のキャンペーンソングとなっていた。7月30日にはフジロックフェスティバルに出演[3]

2000年12月にシングル「ME,WE.」を発売し、2001年3月2日にDragon AshからKjとBOTSが参加したシングル「Right Riot」とこれまでのアルバムの楽曲の別ヴァージョンを集めたミニアルバム『Stilly』を同時発売。同年3月14日に5枚目のアルバム『Flying colors』を発売し、同日からツアー『Flying colors TOUR』を開催[4]。ツアーファイナルの東京ベイNKホールでは、Dragon AshのKjとBOTS、SNAIL RAMPのAKIOがゲストとして出演[5]
東芝EMIへの移籍

2002年9月にシングル「Last Dance」を東芝EMIより発売。同年10月17日に6枚目のアルバム『My Way』発売。

2003年は2枚のシングル「One Way」、「Starlet」を発売し、11月27日に7枚目のアルバム『one』を発売。同年6月にはポリスター在籍時の楽曲を自身が選曲した初のベスト・アルバム『Best Not Best』がポリスターから発売された。

2004年1月10日に横浜アリーナでライブを行い[6]、10月にはシングル曲を集めた2枚目のベストアルバム『SINGLES』を発売。

2005年は2枚のシングル「sunset」、「We can sing a song」を発売し、11月23日に8枚目のアルバム『A Day In The Life』を発売。2005年5月以降弾き語り形式でのライブ「The Bread Of Life」を開始する[7][8]
tearbridgeへの移籍

2006年7月、シングル「Your Song」をROOTSより発売し、12月にシングル「Walk This Way」をtearbridge recordsより発売。2007年2月21日に9枚目のアルバム『The New Day Rising』、ファン投票で選ばれたライブベスト盤『Live And Learn』を同時発売[9]

2007年は2枚のシングル「Surfriders」、「Have Fun」を発売し、2008年2月27日に10枚目のアルバム『Nayuta』を発売[10]。5月26日から、ツアー「AIR 2008 Nayuta?FREEDOM/08」を開催[11]。また、2007年6月発売のNICO Touches the Wallsのシングル『Primitive-disc「エデン」』以降のNICO Touches the Wallsの作品に共同プロデューサーとして参加[12][13][14]
活動終了

2009年2月10日、自身のオフィシャルサイトでAIRとしての活動を終了する事を発表し、同日付で所属事務所「ROOTS」との契約も終了[15]。2月11日にシングル「Pansy」をROOTSより発売し、2002年から2008年までのAIRの音源をパッケージしたベストアルバム『Three Cheers For Goodbye』をポリスターから発売[16]
Laika Came Back

2010年2月10日、新プロジェクトLaika Came Backの開始の発表に伴い以下のコメントを発表[17]。もし志半ばにして命を終えなければならなかった者達がこの地球上に帰ってくることが出来たら、何を思い、何を描き、何を奏で、どんな行動をするのでしょう。If the souls of the people who have died against their will could come back to the Earth, what would they think and depict,and how would they play and act?

同年3月31日に楽曲「Landed」、12月22日に楽曲「Trace」を配信で発売[18][19]。2011年1月10日に東京・WWWで開催されたイベント「GREENROOM LIVE VOL.1 ?180° SOUTH?」に出演し、Laika Came Back名義での初ライブを行う[19]

2011年5月に東京・大阪でワンマンライブを開催し、同年3月11日に発災した東日本大震災に際して急遽決定された5月27日の仙台PARK SQUAREでのワンマンライブを開催[20]。9月にアルバム『Landed』を発売し、愛知県、大阪府、福岡県、東京都を回るツアーを開催[21]。また、9月24日に千葉・幕張メッセで行われたライブイベント『GG11 -10th Anniversary-』のオーガナイザーであるジョージ・ウィリアムズの熱烈なオファーに応え、AIRとして同イベントに出演。サポートはドラムを金子ノブアキ、ベースをサトウマサトシ(ACIDMAN)が務めた[22]。10月29日から長野県・長野NEONHALLでの公演を皮切りに全国13都市を回るツアー『From Landed to Trace』を開催[23]

2012年12月から2015年8月にかけて4作の楽曲「Ride On The Secret」、「桜花」、「逆光」、「忘れない」を配信で発売[24][25]
音楽性

爽やかなピアノをメインとした「NEW SONG」[26]、低く、重く、うねるような低音のギターリフが特徴の「ME,WE.」[26]、Dragon AshのKjとのコラボレートでヒップホップ・シーンに接近した「Right Riot」など[2]、楽曲ごとにギターロックジャズパンク・ロックポップなど様々なジャンルの音楽を取り込んだ音楽性が特徴[1][2]。インタビューでは、「首尾一貫したスタイルを目指しているわけではなくて、その時自分にとって一番タイムリーな表現を追求しているだけ」と述べた[26]

社会的なメッセージを込めた楽曲も多く、特に動物実験に強く反対している[1]。「ME,WE.」では「Against Animal Testing(動物実験反対)」や「同じ血 同じ涙を持ってる」といった主張をした[26]
ディスコグラフィ「BAKU (バンド)#作品」および「Spiral Life#ディスコグラフィー」も参照

※特筆されていないものを除き、全てAIR名義。最高位はオリコンチャート週間ランキングによるもの[27]


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