車だん吉
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車 だん吉
本名白沢 力(しらさわ つとむ)
ニックネームだんちゃん
別名義たんくだん吉(旧芸名)
生年月日 (1943-12-06)
1943年12月6日(80歳)
出身地 日本東京都江東区
血液型A型
身長177 cm
言語日本語
方言東京方言
最終学歴立正大学経済学部
コンビ名コント0番地(解散)
相方岩がん太(コント0番地)
事務所浅井企画
活動時期1966年 -
他の活動俳優漫画家
親族飯塚悟志[1]
公式サイト ⇒プロフィール
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車 だん吉(くるま だんきち、1943年12月6日 - )は、日本タレント俳優漫画家。本名:白沢 力(しらさわ つとむ)。浅井企画所属。

東京都、現在の江東区生まれ、千葉県佐倉市在住。立正大学経済学部卒業。身長177cm。
来歴・人物

1966年3月、大学卒業後に左とん平に弟子入りしたところ、左に浅井企画を紹介され、事務員として入社。萩本欽一が主宰していた劇団・東京新喜劇の劇団員だったいわたがん太(のちに岩がん太→岩だん吉と改名)とコンビを組むことになり、芸人に転身した。コント55号の弟分として「コント0番地」を名乗っていた。当時の芸名はたんくだん吉で、はかま満緒の命名による。これは「顔がマンガみたいだから」との理由で、『タンクタンクロー』と『冒険ダン吉』からのもじりである。

同じ事務所の坂上二郎三船敏郎主演のテレビ時代劇『荒野の素浪人』に出演する際に、抱き合わせ出演を依頼した。しかし番組制作側に芸名に難色を示された事から、「たんく」→「戦車」→「車」と改名した[2][3]

コント55号全盛時には、岩と共に萩本と「同棲」して、彼の身の回り一切を支えていた。しかし、岩が起業(当初魚屋、のちラーメン店へ転業)のため芸能界を引退し、コンビを解消。その後も車は芸能人として活動を続ける。

1976年から1994年まで放送された中京テレビのバラエティ番組『お笑いマンガ道場』で全国的に有名となり、プロ顔負けの漫画を披露し、人気を博した。マンガ道場での共演者であった漫画家 鈴木義司富永一朗の推薦を受け、漫画家活動も行っており、漫画雑誌「わんぱっくコミック」や欽ちゃんの4コマ漫画おまけ付きい!(週刊漫画サンデー)などに漫画を掲載したこともある。

老女に扮する芸を持ち、九州を中心に活動したばってん荒川吉本新喜劇桑原和男と並ぶ「お婆さんキャラ」を持つ。また、役者としても様々なドラマ・映画に出演している。

日本テレビぶらり途中下車の旅』ではかつて約2か月おきに出演し、「ミスターぶらり旅」の異名を取っていた(初代ナレーターだった滝口順平の逝去以後出演取りやめ)。

また声優として、『ピタゴラスイッチ』の百科おじさんの声を担当していた。初代の名古屋章から数えて三代目であった。(2004年から2022年まで担当。)

コントグループ「東京03」のメンバー・飯塚悟志は親戚。
エピソード

ザ!鉄腕!DASH!!』内での軽ワゴンのソーラーカーで日本を一周する企画「ソーラーカー一筆書き日本一周」では、ソーラーカーの名前が「車だん吉」をもじってつけられた「だん吉」だった。

京成電鉄2009年2月から3月までの間、3700形車両を使用して「車だん吉号」が運転されていた。

出演作品
テレビドラマ

フジ三太郎(1968年、TBS / 国際放映)※たんくだん吉名義

Oh!それ見よ(1969年、TBS / 国際放映)

決めろ!フィニッシュ 第12話「勝利への足あと」(1972年、TBS / 東宝)- 弘の従兄弟・マスター

荒野の素浪人 第22話「待ち伏せ 国境い夜叉神峠」(1972年、NET / 三船プロダクション

へんしん!ポンポコ玉 第8話「ピンチ?ぴんちナノダ!」(1973年、TBS / 国際放映)- 警官A

ジャンボーグA 第36話「恐怖! 蛇が岳の秘密」(1973年、MBS / 円谷プロ)- 城南町交番のおまわりさん

雑居時代 第15話「今年はライオンどし?」(1974年、NTV / ユニオン映画)- 若い獅子舞


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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