車いすマラソン(くるまいすマラソン、英語:wheelchair marathon)は、公道コース等(公園の敷地内や空港の滑走路等を使用する場合もある)を使用して行う車いす陸上競技で障害者スポーツの1つ。参加者は3輪タイプの競技用車いすに乗り、腕の力だけで42.195 kmを走り抜く。1984年のニューヨーク・アイレスベリーパラリンピック(ロサンゼルスオリンピック時)から夏季パラリンピックの正式種目に加えられた。
ハーフマラソンの21.0975 kmや、10 km、5 kmロードレース(英語版)等、マラソンに満たない距離であっても、トラック外で行われるものは、国内では「車いすマラソン」と呼ぶことが多いが、ここでは主に42.195 kmのフルマラソンについて記述する。 車いすマラソンの世界記録1時間20分14秒(1999年 ハインツ・フライ/大分国際)は、平均時速31.7kmであり、健常者のマラソンの世界記録2時間01分39秒(2018年 エリウド・キプチョゲ/ベルリンマラソン)の平均時速は、20.8kmである。 車いすと健常者のマラソン(概数)項目車いすマラソン健常者マラソン比較 (※ 以上の記事は2019年3月現在のデータによる) 以下に記述するようにマラソンと同様の戦略があるが、空気抵抗を減らすために先行する選手の後ろに付くことで数台?十数台が直線的に並び、風除け役となる先頭を交代(ローテーション)しながら、体力を温存しスパートの時を窺うなど、自転車のロードレースと同様な戦略も見られる。これは車いす競技ではドラフティングと言い、異なるクラスでのドラフティングは禁じられている。 早い段階で先行し、そのままフィニッシュまで逃げ切る。 1990年代後半の大分国際における絶頂期のハインツ・フライにおいては逃げるというよりむしろ、付いて行ける選手がいないため、1人となってしまうということがしばしば見られた。 競技場に入る前に決着を付けるという戦略である。 トラック勝負は、瞬発力がどれだけあるかに懸っているし、集団となっている場合は、前に出るチャンスが生まれるかどうかは不確実であるため、確実に勝つためにはトラックに入る前に集団から抜け出す必要がある。また、障害部位により腹筋・背筋の力が弱く、トラック勝負で不利になる選手の場合は、この戦略を選択する場合が多い。 瀬古利彦のようにスプリント能力に絶対的な自信がある場合は、競技場まで体力を温存し、最後に抜き去るということも可能だろうが、集団の数によっては、思い通りの進路が取れない場合も多く、勝つためには運も味方につける必要がある。 自転車レースや自動車レースには、オーバルコースが採用されている。これは、カーブで急にハンドルを切ると危険であるため、徐々に曲がり方が強くなるように設計されているものである。(緩和曲線参照)しかし陸上競技のトラックは、人が足で走ることを前提に、また運動場などでラインを引きやすいように設計されているため、カーブは完全な半円である。従ってコーナーの入り口で一気にハンドルを切れば、後はその角度を維持し続ければよいことになる。 競技用車いすには、前輪の角度をトラックのカーブに合わせて固定する装置が取り付けられているため、カーブの入り口でハンドル角を固定すれば、ハンドルを触らずに後輪を漕ぎ続けることができる。車いすレースにおいては、この、前輪角度の固定タイミング、直線に出た時に戻すタイミングがポイントとなる。 一般のマラソン大会がスタートする5分?10分前に、同じコースをスタートする。健常者がフィニッシュするより早くフィニッシュできるタイムを持ったランナーに参加者を限定すれば、健常者と交錯することなく、交通規制を5?10分長くするだけでコースを使用できるメリットがある。 1974年にアメリカ合衆国で開催されたレース(距離等不明)と、1975年に訴訟の末ボストンマラソンに参加したボブ・ホール(Bob Hall,Robert Hall)が車いすマラソンのパイオニアとして知られている。ボストンマラソンの影響が大きく、欧米諸国ではこのタイプの大会が多い。 近年では日本でも東京マラソンが2007年から(ただし女子は2008年から)、大阪マラソンが2011年から車いすの部を設けており、今後さらに車いすの部を設定するマラソン大会が増えることが期待される。 独立した大会であるため、車いすの部よりも関門時間を多少、長くすることが可能であるため、重度の障害者も参加できるメリットがある。 ボストンマラソンなどに刺激を受け、日本でも既存のマラソン大会に参加しようとする動きがあったが、当時の日本では、車いす使用者がマラソンの距離を安全に完走できるという確証がなかったため、実験的な大会として、単独開催せざるを得なかった。1981年に開始された大分国際車いすマラソン大会によって車いす使用者がマラソンの距離を完走することが可能であり、また無理をしなければ健康を害することもないということが広く認知されるようになった1990年頃からは、全国各地で同様の車いす単独の大会が開催されるようになった。 1980年代は障害者の社会参加という福祉的な意味合いが大きかったが、国内各地で車いすマラソン大会が開催され、パラリンピックの正式種目にも加えられるなど、競技性が高まり、海外のレースを転戦するプロ選手も現れた。2010年代頃からはボストンマラソンで日本人が優勝した際も、競技スポーツとして報道されるようになった。 基本的な部分は日本陸上競技連盟のルールに則って行われるが、障害者スポーツとしての特殊な部分(競技用車いすの規格や障害の程度に応じたクラス分けなど)は、大会規模や大会の目的に応じて「World Para Athletics競技規則」や、「日本パラ陸上競技連盟競技規則」に則って行われる。またこれらの団体から記録を公認されるためには、大会自体が公認を得るとともに選手自らも選手登録しておく必要がある。 障害程度に応じて、T51、T52、T53/54等に分けられる。Tはtrack(トラック)、10の位の5は脊髄損傷、1の位は障害程度の重い順に1?4で表される。T54は腹筋が機能する。T53は腹筋が機能しない。T51は握力や腕を伸ばす力が弱く、ほとんど腕を曲げる力だけで走る。 黎明期である1970代半ばは、まだ足で走る速さには及ばなかったが、1980年 Curt Brinkman(アメリカ)が、ボストンマラソンにおいて、1時間55分00秒で優勝し、健常者の記録を抜き去った。現在の世界記録1時間20分14秒(1999年 ハインツ・フライ/大分国際)は、平均時速31.7kmであり、100mを11.4秒のペースで走り続けたことになる。 年月記録選手大会備考 (ボストンマラソンを除く) 年月記録選手大会備考 「障害者スポーツ」の世界では、過去においては国際ストーク・マンデビル車椅子競技連盟(ISMWSF=International Stoke Mandeville Wheelchair Sports Federation )が、現在では「国際パラリンピック委員会(IPC/1989年設立)」が競技や記録のルールを統括しているが、ボストンマラソンでの世界新記録は、IPC公認の世界新記録とはならない。 従って、車いすマラソンには、二つの世界記録が存在する。一つはIPC公認大会の記録、もう一つは、ボストンマラソンの記録である。 これは、平地のレースとダウンヒルレースの2種目あると考えると分かりやすい。例えばテニスにおいても、芝コートのウインブルドン選手権と、クレーコートの全仏オープンとを同列に比較できないのと同じように、ボストンマラソンとそれ以外のマラソンとでは、記録を単純に比較することはできない。[8][9] 2004年、国際陸上競技連盟(国際陸連=IAAF)は、大会ごとに条件の異なるコースの規格を統一し、記録の比較を容易にするためにマラソンの基準を設定したが、その内容はスタート地点とフィニッシュ地点の直線距離が全長の半分以下(フルマラソンでは21.0975km)で、高低差が1/1000以内(42.195kmのマラソンでは、42m以内)等であったが、ボストンのコースはほぼ一直線で折り返し点がなく、スタート地点よりもフィニッシュ地点の方が140m低い下り坂であり[10]、ボストンのコースには当てはまらないものであった[11]。「ボストンマラソン#記録の扱い」および「マラソン#公認コースの主な条件」も参照 なお、障害者スポーツが誕生する何十年も前から存在し、既に権威であるボストンマラソンが、歴史の浅いIPC等の公認を得るメリットは多くないと認識しているであろうことは想像に難くない。 ただし、公認記録にはならないといっても「他の大会と同じカテゴリーの中の世界新記録としては扱わない」というだけであり、記録をないものとする訳ではなく、勝利を軽んじるというわけでもない。現に、ボストンで出した記録は、IPCが公表する年間ランキングに掲載される。[12] また、ボストンマラソンが歴史上初めて車椅子使用者を「ランナー」として公式に認めた偉大な大会であり[13]、最も伝統と権威あるマラソン大会であることには変わりないため、IPC公認世界記録とはならないとしても、ボストンマラソンの記録を更新したという偉業については、最大級の賛辞を持って讃えられることには変わりない。
スピード
比較
(車椅子/健常者)
平均時速31.7km/h20.8km/h3/2
5kmラップタイム10分/5km15分/5km2/3
100mラップタイム11.4秒/100m17.3秒/100m2/3
車いすのトップ選手の場合、1分で500m進むことができ、2分で1km走れるため、80分で40kmに到達できる。
公道における原動機付き自転車(50ccバイク)を抜き去るスピードである。
最高速度
平地 - T54(障害程度の軽いクラス)男子の100mの世界記録が13秒63、200mの世界記録が24秒18、400mの世界記録が43秒46(いずれも2019年3月1日現在)であるため、スタート直後はやや遅いが、トップスピードに乗ってからは100mあたり約10秒であるため、時速36kmに達している。ただしこれらはトラックで記録されたものであり、全区間の半分をコーナーが占めており、減速していることを考慮すると、東京マラソン等、フィニッシュ直前が200m程度の直線であれば、ラストスパートでは、時速37?38kmに達すると考えられる。
下り坂 - レースでは、50kmを超える[1][2]。
2008年北京パラリンピック銀メダリストの笹原廣喜は最高で時速68kmを出したことがあるという[3][4]。フレーム剛性が向上し直進安定性も増していることから、高速走行が可能となったが、前輪ブレーキの制動力を完全に超え、制御不能となるため危険である。また、ブレーキを強く掛けると前輪がロックしてしまうため、路上の段差や小石等に乗り上げ前輪が横に流れた場合、転倒の危険性が大きくなる[5][6]。
戦略2008ロンドンマラソン
先行逃げ切り型
ロングスパート型
トラック勝負型
半円コースとオーバルコース
(参考)2008年北京女子5000m
2008年北京パラリンピック、車いす女子5000mラスト1周直前で接触、転倒したのは、このタイミングを逸したのが原因である。コーナーを終え、直線に出た時、2位を走っていた選手が、下を向いていたため直線に出たことに気付くのが遅れ、前輪を元に戻さなかったため、内側に切り込んできて、後続と接触、転倒したものである[7]。2004年アテネの5000m金メダリストの土田和歌子がこのアクシデントに巻き込まれ、優勝を期待されたマラソンも欠場を余儀なくされている。
歴史と開催形態
大きなマラソン大会の「車いすの部」として開催
車いすの部(wheelchair division)詳細は「車いすの部」を参照
競技の始まりと発展
近年の動向
車いすランナーだけの単独大会
競技の始まりと発展
これまで日本で開催された単独大会
1983年? 大分国際車いすマラソン(大分県大分市)
1988年? 全国車いすマラソン(兵庫県篠山市)
1990年? はまなす全国車いすマラソン(北海道札幌市)
1991年? 日本車いすマラソン大阪大会(大阪市舞洲)
(2006年までで休止)
2005年? 日産カップ追浜チャンピオンシップ(神奈川県横須賀市)
(2006年までで休止、ただしハーフは継続)
近年の動向
競技規則等
クラス分け
記録
男子世界記録の推移
1983年11月13日2時間22分20秒山本行文大分国際日本最高記録(当時)
1984年11月11日1時間48分25秒アンドレ・ヴィジェ(カナダ)大分国際初めて2時間の壁を破る
1984年11月11日2時間00分47秒山本行文大分国際日本人で初めてマラソン男子(健常者)の世界最高記録と日本最高記録を抜く
1986年11月2日1時間50分05秒山本行文大分国際日本人として初めて2時間の壁を破る
1999年10月31日1時間20分14秒ハインツ・フライ大分国際
2021年11月21日1時間17分47秒マルセル・フグ大分国際
女子世界記録の推移
1984年11月11日2時間38分14秒幸塚直子(石川)大分国際日本最高(当時)
1990年9月30日2時間35分34秒長谷川尚美
1990年10月28日1時間51分31秒長谷川尚美(兵庫)大分国際日本最高(当時)
日本人女子選手として初めてマラソン女子(健常者)の世界最高記録と日本最高記録を破り、また同時に、日本人女子として初めて2時間の壁を破る。
1997年11月2日1時間39分40秒畑中和(兵庫)大分国際男子の世界記録も上回る(当時)
2001年11月11日1時間38分32秒土田和歌子(東京)大分国際世界最高
ボストンマラソンの記録の扱いについて
二つの世界記録
「公認世界記録」とならない理由
勝者と記録の扱い
現在の世界記録
IPC公認世界記録
1時間20分14秒/ハインツ・フライ(スイス)/1999年10月31日 大分国際[14]
ボストンマラソンの世界記録
1時間18分25秒/ジョシュア・キャシディ(カナダ)/2012年4月16日[15]
主な選手
日本選手
男子
山本行文 車いすランナーの先駆者
野崎輝男
藤川泰博
山口悟志
中村博之(大阪)
川上耕作
田中秀夫(山口)
辰巳晃一(愛知)1996年アトランタパラリンピック日本代表。90年代の日本トップ3
藤田英二
室塚一也 1996年アトランタパラリンピック 銀メダル。日本人初のプロレーサー
永尾嘉章 (兵庫) パラリンピック7大会出場
廣道純 2002年 ベルリンマラソン 2位
渡辺幹司
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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