身請(みうけ)は、芸娼妓などの身の代金(前借り金)を支払い、約束の年季があけるまえに、稼業をやめさせることである。身請ののち、自分の妻、また妾にすることもある。落籍ともいう。 江戸時代の遊女の身請は、ふつうまず客からだれだれを身請すると楼主
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元禄3年の三浦屋初菊の身請証文、寛保元年の十代目高尾の身請証文もだいたいおなじで、身請証文には遊女の手切れ金にまで言及されていた。遊女には、女衒(ぜげん)付き、女衒なしの区別があり、女衒なしの身請は容易であったが、女衒付きはあとが面倒であるとされ、身請相談とともに金銭で女衒の手を離れさせる手順をふんだ。太夫の身請は、とうぜん客は大尽であるから、楼内はもちろん、芸妓、幇間にまで赤飯、料理、祝儀の包金をあたえ、朋輩の妓女には昼夜、総仕舞(総揚げ)の玉を付け、身請の遊女は朋輩女郎、鴇婆、妓夫、若者におくられ、客の待つ引手茶屋に行き、ここで宴を張ったのち、大門口に用意された迎えの駕籠に乗り、おめでとう、ごきげんよう、の別れのことばをうけて廓を出た。赤飯と鰹節をおくられた引手茶屋の一同もここまで来て送る派手なものであった。
のちには貸借元簿の金額をさだめとして、その妓女が借金を支払い、祝儀の名目で若干金銭を抱主に贈るのがふつうであった。.mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox-note{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox .navbar{position:absolute;top:-0.90em;right:1em;display:none}
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