足柄下郡
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}令制国一覧 > 東海道 > 相模国 > 足柄下郡日本 > 関東地方 > 神奈川県 > 足柄下郡神奈川県足柄下郡の範囲(1.箱根町 2.真鶴町 3.湯河原町 薄緑:後に他郡から編入した区域)

足柄下郡(あしがらしもぐん)は、神奈川県相模国)西部にある

人口39,276人、面積140.88km²、人口密度279人/km²。(2024年4月1日、推計人口

以下の3町を含む。

箱根町(はこねまち)

真鶴町(まなづるまち)

湯河原町(ゆがわらまち)

郡域

上記の3町以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。

小田原市(大字曽比、栢山、上曽我、曽我大沢、鬼柳、下大井を除く全域)

歴史

713年和銅6年) - 律令時代、「好字二字の制」により足下郡と表記されることとなり、これによって「あしのしも」という読みも行われた。郡衙小田原市内の千代廃寺付近と推定されている。

近代以降の沿革

「旧高旧領取調帳」に記載されている
明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社等の除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。小竹村はかつて淘綾郡山西村の飛地で当郡に編入された新料と元来小竹村であった古料が分かれて記載されている。記載以外にも以下の地域が存在した。(1町1宿85村)

箱根宿 - 小田原町・新町・新谷町は小田原藩領。三島町・芦川町は幕府領として代官江川太郎左衛門支配所(韮山代官所)が管轄。

元箱根(町や村はつかない) - 寺社領(箱根権現社地)。

芦之湯(同上) - 小田原藩領。

知行村数村名
幕府領旗本領3村沼代村、小船村、○中村原
藩領相模小田原藩1町
80村○板橋村、○風祭村、水野尾村、○入生田村、後河原村、○湯本村、湯本茶屋村[1]、○須雲川村、○畑宿村[2]、○塔之澤村[3]、○大平台村、○底倉村、○早川村、○石橋村、○米神村、○根府川村、○江ノ浦村、○岩村、○真鶴村、○福浦村、○吉浜村、○門川村、鍛冶屋村、城堀村、○宮下村、○宮上村、○山王原村、○網一色村、○酒匂村、○小八幡村、●○国府津村、○前川村、○羽根尾村、○下新田村、上新田村、○鴨宮村、○矢作村、○下堀村、○中里村、○高田村、○別堀村、○田島村、●○千代村、○永塚村、○延清村、○東大友村、○西大友村、○曽我別所村[4]、○曽我原村[5]、○曽我谷津村[6]、○曽我岸村[7]、○中新田村[8]、○飯泉村、○成田村、○桑原村、小竹村、穴部村、穴部新田、○府川村、○北ノ久保村[9]、○今井村、○井細田村、○多古村、○中島村、○町田村、○池上村、府内堤新田[10]、府内池戸新田[10]、府内新宿[10]、府内小峯[10]、○府内渋取[10]、○府内竹花[10]、○府内谷津村[11]、○荻窪村、○久野村[12]、小田原府内、蓮正寺村、中曽根村[13]、○飯田岡村、清水新田、新屋村、○小台村、柳新田村、○堀之内村、沼城村[14]、○上町村、小竹村、○宮城野村[15]


慶応4年

3月19日1868年4月11日) - 神奈川奉行新政府軍に接収されて横浜裁判所となり、箱根宿の幕府領を管轄したが、一部事務は引き続き韮山代官所が扱った。

4月20日(1868年5月12日) - 横浜裁判所が神奈川裁判所に改称。内務は管下の戸部裁判所が担当した。

6月17日(1868年8月5日) - 神奈川裁判所が神奈川府に改称。

6月29日(1868年8月17日) - 韮山代官所が韮山県に改組され、一部事務を引き継ぐ。

徳川将軍家府中藩への転封にともなう小田原藩の領地替えにより、箱根宿の幕府領を除く全域が小田原藩の管轄になる。


明治元年9月21日(1868年11月5日) - 神奈川府が神奈川県に改称。

明治初年 - 箱根宿が箱根駅に改称。(1町1駅85村)

明治4年

7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が小田原県荻野山中県の管轄となる。

11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が足柄県の管轄となる。

小田原府内各町が合体して小田原駅となる。(2駅85村)


明治8年(1875年) - 小田原駅が小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町に再編される。(5町1駅85村)

明治9年(1876年4月18日 - 第2次府県統合により足柄県が神奈川県、静岡県に合併され、当郡は神奈川県の管轄となる[16]

明治11年(1878年

7月22日 - 郡区町村編制法により行政区画としての足柄下郡が編成され、郡役所は小田原駅(現小田原市)に設置。

宮上村のうち1700年元禄13年)以来、国境論争が続いていた伊豆山権現領(字泉・稲村。年貢は小田原藩に上納)が分立して静岡県賀茂郡泉村(現:熱海市)となる。


明治13年(1880年) - 後河原村が入生田村に編入。(5町1駅84村)

町村制移行の沿革1.小田原町 2.蘆子村 3.二川村 4.久野村 5.富水村 6.豊川村 7.上府中村 8.下府中村 9.下曽我村 10.田島村 11.下中村 12.前羽村 13.国府津村 14.酒匂村 15.大窪村 16.湯本村 17.温泉村 18.宮城野村 19.仙石原村 20.箱根駅 21.元箱根村 22.芦之湯村 23.早川村 24.石橋村 25.米神村 26.根府川村 27.江ノ浦村 28.岩村 29.真鶴村 30.福浦村 31.吉浜村 32.土肥村(桃:小田原市 紫:箱根町 赤:湯河原町 橙:真鶴町)

明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。箱根駅は宿駅名のまま町制施行。仙石原村を足柄上郡から編入。(2町30村)

小田原町 ← 小田原駅幸町、小田原駅万年町、小田原駅新玉町、小田原駅緑町、小田原駅十字町(現:小田原市)

蘆子村 ← 荻窪村、谷津村、中島村、町田村、池上村(現:小田原市)

二川村 ← 井細田村、多古村、今井村(現:小田原市)

久野村(単独村制。現:小田原市)

富水村 ← 蓮正寺村、中曽根村、飯田岡村、堀之内村、柳新田村、小台村、新屋村、清水新田、北窪村、府川村、穴部村、穴部新田(現:小田原市)

豊川村 ← 飯泉村、成田村、桑原村(現:小田原市)

上府中村 ← 高田村、千代村、永塚村、延清村、西大友村、東大友村、別堀村(現:小田原市)

下府中村 ← 下堀村、中里村、矢作村、鴨宮村、上新田村、中新田村、下新田村(現:小田原市)


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