足手荒神
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絵馬の代わりに手型や足型を奉納して治癒を祈願する。(嘉島町の甲斐神社

足手荒神(あしてこうじん)は、手足のである。民間信仰を起源とし、手足の病気や怪我に悩む者がその快癒を祈願するもので[1][2]信仰の特徴として手型や足型を奉納することが見られる[3]。中にはギプス松葉杖などを奉納するものもある[4]。他人が奉納した手型、足型で患部をなでる例もある[5]

信仰される地域は、秋田県福岡県熊本県大分県などで、四国に及んでいるとの報告もある。熊本県嘉島町甲斐神社(中郡甲斐神社)、熊本県大津町の西鶴甲斐神社[6]や、熊本県八代市医王寺[7]は、「足手荒神」と通称されている。熊本の玉名市、大分の大分市別府市などでは「手足荒神」と言う。
信仰の対象

熊本県八代市の医王寺や、熊本県阿蘇市西巌殿寺には、足手荒神として青面金剛が祀られているという[8][9]。青面金剛は、庚申信仰本尊であり、病魔退散の力を有するとされているものである[10]

一方で、西巌殿寺の足手荒神はお鏡石という丸い霊石が信仰の対象で、大分県竹田市飛田川や熊本県小国町の足手荒神などはこの分霊で、信仰圏は大野郡、直入郡、さらに宇和海を渡り四国にまで及ぶとの報告もある[11]

熊本市中央区にある本覚寺境内の足手荒神では、22世住職が掘り出したという五輪塔の丸石を祀り[12]、玉名市岱明町の手足荒神では、五輪塔の石を寄せ集めた六輪塔をご神体とする[13]

熊本県山鹿市の宗泉寺では、「足手三宝大荒神」を祀り[14]、八代市の医王寺についても、三宝荒神の文字と梵字が刻まれ、荒神の祭りが庚申祭りであるとの民俗学者による記録があり[15]、三宝荒神信仰との結びつきも見られる。

手足を負傷して死んだという武将甲斐親英(宗立)を祀る熊本県嘉島町の甲斐神社は足手荒神の総本社と称し、熊本県和水町菊池市下古閑集落の足手荒神、熊本県大津町の西鶴甲斐神社、荒尾市の府本甲斐神社、熊本県美里町の砥用甲斐神社(現在廃社)などは、この分霊を勧請したものという。

もっとも、同じ熊本の中でも、旧飽託郡の足手荒神について、手足の疾病のため敵に追いつかれて落命した託麻某という武士の後身であるとする、甲斐宗立とは別の伝来も報告されている[16][17]

また、別府市南立石の「手足荒神」は、やはり手足の疾病平癒を祈願し、手型足型を奉納するという信仰であるが、これにも手足を痛めていて不覚をとった武士についての由緒があり、概略は次のようなものである[18]慶長5年(1600年)、九州関ヶ原と言われる石垣原の戦い黒田如水大友義統)の前日の夜半、斥候中に崖から落ち、手足を骨折した黒田方の侍[注釈 1]が大友の兵に捕らえられた。侍は、『手を挫かずば、お前共の手に掛かる者ではない。切って手柄にせよ。死して百年の後まで、魂はこの世にとどまり、手足を挫いた者を救うであろう』と言い残し斬首された。哀れんだ大友の将・吉弘統幸が侍を手厚く埋葬したとの伝説、この合戦で傷を負った兵がこの地で傷を癒したとの伝説があり、手足を挫いた者がここを参詣すると不思議に治ることから、祠を建て「手足荒神」として信仰されるようになったのだという。元は個人の屋敷神であったらしいが[11][20]、その信仰圏は大分方面や速見郡などに広がっているとされる[11]

大分県九重町の二日市足手荒神社は、少彦名神などを祭神とし、薬師如来が刻まれた室町時代のものと推定される石造宝塔をご神体とする[21]。少彦名神も薬師如来も、医薬の神仏とされるものである[22]
信仰される地域

信仰される地域は、秋田県男鹿市[23][24][25]福岡県久留米市田主丸町[26]、福岡県三井郡大刀洗町[27]熊本県大分県大分市[28]、大分県竹田市[29][11]大分県豊後大野市[1][11]、大分県玖珠郡九重町[30]、大分県日田市[31]などである[32]。大分県からを越えて四国にも及んでいるとの報告もある[11]。また、大分県別府市には、「手足荒神」という同様の信仰があり[11][33][34]、大分方面、速見郡に広がりを見せているという[11]。「手足荒神」は大分市や熊本県玉名市岱明町にも確認されている[35]
各地の足手荒神秋田県男鹿市福川の足手荒神大宮神社境内の足手荒神(熊本県山鹿市)西鶴甲斐神社(熊本県菊池郡大津町)瀬川の足手荒神(熊本県水俣市)医王寺境内の足手荒神(熊本県八代市)本町の手足荒神(大分県大分市大字野津原)手足荒神(大分県別府市南立石)足手荒神社(大分県竹田市飛田川字天神)

※ 地名は現在のもの
秋田県

足手荒神(秋田県男鹿市船川港本山門前)
[23]

足手荒神(秋田県男鹿市福川)[24][36] - 秋田県道304号払戸琴川線沿いにある石祠で、地元民からは「青竜さま」と呼ばれている。昭和50年代の前半までは、県道向い側の、現在はなくなった林に置かれていたとされる[37]


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