足にさはつた女
足にさはつた女
監督阿部豊
脚本益田甫
原作沢田撫松
出演者岡田時彦
梅村蓉子
撮影碧川道夫
製作会社日活大将軍撮影所新劇部
配給日活
公開 1926年10月29日
上映時間77分
製作国 日本
言語日本語
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学『足にさはつた女』(あしにさわったおんな)は、1926年(大正15年)に発表された沢田撫松による日本の小説であり、同作を原作とし、同年に日活大将軍撮影所新劇部が製作し、阿部豊が監督した日本のサイレント映画である[1]。同映画は第3回キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得した作品として知られる。1952年(昭和27年)に市川崑が、1960年(昭和35年)に増村保造が、いずれも『足にさわった女』のタイトルでリメイクしている[1]。
略歴・概要小説の初出は、1926年(大正15年)秋、朝日新聞社の発行する週刊誌『週刊朝日』誌上である。単行本が発行された形跡はない[2]。
同誌に発表されるや映画化が企画され、京都の日活大将軍撮影所の現代劇を製作するセクションである新劇部がこれを製作した[1]。日活が配給し、同年10月29日、東京・神田の神田日活館
、おなじく浅草公園六区の三友館等で全国公開された[1]。映画雑誌『キネマ旬報』は2年前の1924年(大正13年)から外国映画のベストテン選出を行っていたが、同年の第3回から日本映画の質的水準が向上したとして、日本映画についてもベストテンの選出を開始、本作が最初の日本映画ベストワンに選出された[3][4]。
のちに1952年(昭和27年)に市川崑が『足にさわった女』のタイトルでリメイクし、1960年(昭和35年)には市川の企画により増村保造が『足にさわった女』のタイトルでリメイクしている[1]。
本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[5]、マツダ映画社も所蔵していない[6]。現状、観賞することの不可能な作品である。
スタッフ・作品データ
監督 : 阿部豊
原作 : 沢田撫松
脚色 : 益田甫
撮影 : 碧川道夫
製作 : 日活大将軍撮影所新劇部
上映時間(巻数 / メートル) : 77分[7](6巻 / 1,594メートル)
フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.33:1) - サイレント映画
初回興行 : 神田・神田日活館 / 浅草・三友館
キャスト
岡田時彦 - 文学青年・松戸夢男
梅村蓉子 - 或女・春日井浜子
島耕二 - 私立探偵
谷幹一 - 昔の許婚者・新田
滝花久子 - その妻
ビブリオグラフィ国立国会図書館蔵書[2]。
『大衆文学大系 29』、編集・発行講談社、1973年
『おんなの領分』、文春文庫 2、編集・発行文藝春秋、1992年10月
関連事項
1926年の日本公開映画
足にさわった女 - 市川崑、増村保造の各リメイク、およびテレビドラマ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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