この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2010年11月)
趙 甲濟
各種表記
ハングル:? ??
漢字:趙 甲濟
発音:チョ・ガプチェ
日本語読み:ちょう こうせい
ローマ字:Jo Gap-je
英語表記:Cho Gap-che
テンプレートを表示
趙 甲濟(チョ・ガプチェ、1945年10月24日 - )は、大韓民国のジャーナリスト、政治評論家、作家、歴史家。元『月刊朝鮮』編集長。保守団体「国民行動本部
(朝鮮語版)」の創設者の一人[1]。趙甲済とも表記される。日本の埼玉県生まれ。生後直ぐ韓国へ帰国し、釜山高等学校から釜山水産大学に進学するも兵役終了後に中退。1971年に国際新報(後の国際新聞)に入社して記者生活をスタート、1974年の重金属汚染追及報道などで韓国記者賞を7回受賞する。だが、朴正煕政権を批判して2度停職処分を受け、光州事件では、自ら取材しようとしたところを解雇に追い込まれている。その後、ソウルに移り、1983年に『月刊朝鮮』編集部入り。この時、朴正煕暗殺事件を取材したことを切っ掛けに、朴正煕を近代革命家として評価することになる。1991年に『月刊朝鮮』編集長となり2004年まで在任、その後はインターネットメディア「趙甲濟.com
(朝鮮語版)」を足場に、言論活動を繰り広げている[1]。