栃尾線
概要
現況廃止
起終点起点:悠久山駅
終点:栃尾駅
駅数25駅
運営
開業1915年2月14日 (1915-02-14)
廃止1975年4月1日 (1975-4-1)
所有者栃尾鉄道→越後交通
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長26.5 km (16.5 mi)
軌間762 mm (2 ft 6 in)
最小曲線半径110.64 m (363.0 ft)
電化直流750 V 架空電車線方式
最急勾配16.7 ‰
路線図
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
0.0悠久山駅
0.6長倉駅
1.5土合口駅
1.9大学前駅
2.3高校前駅
2.8長岡駅
3.9東神田駅 [注釈 1]
4.2下長岡駅
5.4下新保駅
6.6小曽根駅
7.5宮下駅
8.7浦瀬駅
刈谷田川 (河道変更年不明)
18.2明晶駅 [注釈 3]
21.1太田駅
21.9上北谷駅
↑見附市
牛ケ嶺トンネル[注釈 4] 160.87m
24.5楡原駅
26.5栃尾駅
栃尾線(とちおせん)は、新潟県長岡市に本社を置く越後交通が運営していた、長岡市の悠久山駅から長岡駅、見附市の上見附駅を経由して、栃尾市(現・長岡市)の栃尾駅までを結んでいた軽便鉄道路線。 長岡駅を中心に長岡市東部を結ぶ軽便線。前身の栃尾鉄道の名から、通称 栃鉄(とってつ)と呼ばれ、小さな車両は「マッチ箱」の愛称で親しまれた。 栃尾鉄道は、軽便鉄道としては全国でも例が少ない急行・快速列車[1]を運行しており、大正末期のガソリンカー導入時には当時まだ珍しい女性接客係を採用[注釈 5]。また全線電化やCTC化(一部区間)、カルダン駆動の新車の導入などの近代化にも中小私鉄としていち早く着手した。さらに、付帯事業として路線バスの運行のほか、野球場・ホテル・遊園地等沿線の観光開発にも乗り出すなど、誘客策も積極的に実施していた。新潟県中越地方の電車・バス3社合併により越後交通となってからも、沿線住民からは引き続き「栃鉄」と呼ばれて親しまれていたが、1975年に全線が廃止され、同社の路線バスに転換された。 栃尾鉄道
概要
路線データ
路線距離(営業キロ):26.5km
軌間:762mm
駅数(起終点駅を含む):25駅
複線区間:全線単線
電化区間:全線(直流750V)
『栃尾鉄道沿線図絵』(栃尾鉄道、昭和2年発行)。新潟県立図書館蔵
歴史
種類株式会社
本社所在地 日本
新潟県長岡市台町3丁目甲807の1[3]
設立1913年(大正2年)12月26日[3]