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Kia Corporation
種類株式会社
市場情報KRX 000270
略称起亜、KIA
本社所在地 韓国
ソウル特別市
設立1944年
業種輸送用機器
事業内容自動車
代表者安秉模 グループ会長、CEO
売上高16兆3822億ウォン(2008年単体売上高)
営業利益3085億ウォン(2008年単体営業利益)
純利益1138億ウォン(2008年単体純利益)
主要株主現代自動車グループ
関係する人物金附_(創業者)
鄭夢九
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起亜 株式会社
各種表記
ハングル:?? ????
漢字:起亞 株式會社
発音:キア チュシックェサ
日本語読み:きあ かぶしきがいしゃ
RR式:Gia Jusikhoesa
MR式:Kia Chusikhoesa
英語:Kia Corporation
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起亜株式会社(きあ、韓: ??、英: Kia Corporation)は、韓国第2位の自動車メーカー。2023年の販売台数は308万5771台である。
前身は1944年設立された京城精工株式会社[1]。マツダ及びフォードの技術供与により発展してきたが、1998年の経営破綻で現代自動車の傘下に入って以来[2]「現代-起亜自動車グループ(現・現代自動車グループ)」を構成している[3]。2012年6月の時点で、同社の32.8%の株式を現代自動車が所有。生産車種のほとんどが、同社が販売する同じクラスの車種と主要部品を共有している。
概要
年表
1944年12月 - 日本領だった頃の朝鮮京畿道京城府(現ソウル特別市)永登浦(ヨンドゥンボ)で金附_が「京城精工」として創業する[1]。当初は自転車部品を扱っていた。
1952年3月 - 京城精工、自転車「SAMCHOLLI」を発表。
1961年 - オートバイ「C100(ホンダ・スーパーカブ)」を発売。
1962年 - 1月にマツダのオート三輪・「K-360」「T600」をノックダウン生産。3月、社名を「起亜産業」(????)に変更[1]。社名の「起」は立ち上がる、「亜」はアジアの意味からとっており、「アジアからの躍進」を意味している。
1971年 - マツダのトラック「タイタン」・「ボクサー」をノックダウン生産。
1974年 - マツダファミリアを、「ブリザ (Brisa)、???」の名称でノックダウン生産する。起亜ブランド初の乗用車となる。
1975年 - 起亜初の完成車を輸出(一号車はブリザ・ピックアップ)。
1976年 - 亜細亜自動車を傘下に収める。韓国政府が唯一公認する軍用車製造会社となる。
1979年 - プジョー604とフィアット132を生産。韓国初のDOHCエンジン搭載車である。自転車部門が分社化され、「三千里自転車(Samchuly Bicycle)」として独立。
1980年 - マツダのキャブオーバー車、「ボンゴ・トラック」を生産。翌年には「ボンゴ・コーチ」も生産。
1981年 - 多目的農業用トラック「キア・セレス」を生産。
1983年 - マツダ、起亜産業へ資本参加。
1986年 - フォードが資本参加[1]。ワンボックス車「キア・ベスタ」を生産。
1986年 - フォード・フェスティバ(現地名:キア・プライド)を生産。同時に対米輸出もスタート。
1989年 - 韓国の自動車メーカーでは初めて東京モーターショーに出展。
1990年 - 起亜自動車に社名変更。同時にロゴマークも変更する。
1991年 - 欧州法人(KME)を設立。
1992年 - 北米法人(KMA)を設立。4月に日本法人「起亜ジャパン」設立[1]。
1996年 - 韓国初の本格的スポーツカーであるロータスエランを「キア・エラン[注釈 1]」の名称で生産開始。インドネシア政府との合弁でティモールの生産を開始。
1999年3月 - 前年に起きた韓国経済危機の影響もあり経営破綻。7月には現代自動車傘下になったため、以後開発された起亜車はそれまでのマツダ車ベースから、現代車ベースとなった[1]。これに伴い、傘下の亜細亜自動車を吸収合併する。
2001年 - プロ野球チーム「起亜タイガース」設立。
2002年 - 全豪オープンテニスのメインスポンサーとなる。ティモールの生産を終了。
2006年 - 現代自動車とともに2006 FIFAワールドカップのオフィシャルパートナーとなる。元フォルクスワーゲングループのペーター・シュライヤーがCDO(最高デザイン責任者)に就任する。
2013年 - 北米市場で現代自動車と合わせて190万台という最大規模のリコールを発表[4]。