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走れ!ケー100
ジャンルテレビドラマ
企画佐賀邦夫
脚本高橋二三
田村多津夫
青野暉
才賀明
田口耕三
田口成光
上原正三
監督青野暉
枝川弘
中野恵之
出演者大野しげひさ
大川栄子
秋元京子
杜沢康文
ナレーター野沢那智(*2 - *5)
音楽玉木宏樹
オープニング「ピポピポ旅行」にしきのあきら
言語日本語
製作
プロデューサー増田弥寿邦
安田孝夫
制作TBS
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本
放送期間1973年4月13日 - 1974年3月29日
放送時間金曜 19:30 - 20:00
放送分30分
回数51
発車オーライ・走れ!ケー100(前夜祭)
司会者ハナ肇
出演者大川栄子
大野しげひさ
久里千春
初代林家三平
男子小学生100名
女子小学生100名
放送期間1973年4月6日
放送時間金曜19:30 - 20:00
放送分30分
回数全1回
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『走れ!ケー100』(はしれ ケーひゃく)は、TBS系列局ほかで放送されていたテレビドラマである。TBSとC.A.Lの共同製作。全51話。TBSでは1973年4月13日から1974年3月29日まで放送。
概要第1話ラストで鹿児島県・桜島をバックに国道10号を走り、ケー100と紋太の旅がスタートする(1974年の写真)
蒸気機関車ケー100に乗った主人公が全国各地を回る道中記で、舞台となる土地でロケを行なった。
北海道の夕張に到着した第25話「大爆発!会えるかおじいちゃんに…」は、本来最終回として制作された。放映順と違って第24話札幌編の方が後に撮影され、1973年7月31日(第16話放映後)に撮影が終了した。だが局内で新企画の検討が行われるも、折からのSLブームと視聴率が評価され、結局8月20日ごろに延長が決定[1]。笠智衆を含む出演者・スタッフを再び集め、第20話放映後の8月29日から1か月ぶりに撮影を再開。今度は夕張から前年5月に本土復帰した沖縄県に向けて旅を続けることになった。後半の一時期に大川、秋元、石井が出演していないのは、急な番組延長によりスケジュールを合わせられなかったため@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}とされる[独自研究?]。 鉄工所の息子の末永隆が、スクラップにされるところだった蒸気機関車ケー100を、道路を走れるように修理・改造し、かつてケー100の機関士だった老人・北川久作と再会させるべく、鹿児島から北海道へ向かう計画を立てるが、足に大怪我を負い断念してしまった。それを見かねた薩摩隼人・伊賀山紋太が隆の代わりに北海道・夕張に向け日本各地を縦断する。 だがその後、沖縄から届いた一通の手紙を見て、鉄道のない沖縄の子どもたちのために、ケー100で沖縄へ行くことを決意する。しかしそのケー100を、石橋正彦というペテン師(詐欺師)が狙っていた。石橋はケー100を利用して金儲けを企み、ケー100の後を追っていく。
ストーリー
キャスト
伊賀山紋太 - 大野しげひさ
岡本節子 - 大川栄子(第1 - 27・39・41・43・45 - 47・50・51話)
ノブちゃん(石田伸子[注釈 1]) - 秋元京子(第1 - 35・36(声のみ)・48話)
伊賀山嘉代(紋太の母) - 石井富子(第1 - 26・39・41・48話)
末永隆 - 長田伸二(第1 - 3・10・11・15 - 22・25・26・48話)
紋太の父 - 木田三千雄(第1・26話)
隆の父 - ハナ肇(第1・2・48話)
石橋正彦(ペテン師) - 杜沢泰文(第34 - 37・39 - 51話)
杜沢によると、成川哲夫がレギュラーとなる案があったが、最終的にはゲスト出演のみとなったことを証言している[2]。