この記事を編集される方は、まずノート:走る男もしくはノート:走る男IIをご覧ください。
走る男
ジャンルドキュメントバラエティ番組
出演者森脇健児
オープニングジョギング
エンディングジョギング
製作
製作総指揮東郷一重
『走る男?日本縦断2500kmの旅?』(はしるおとこ にほんじゅうだんにせんごひゃくキロのたび)は、2008年4月から翌年3月まで東名阪ネット6が共同制作し、放送したドキュメントバラエティ番組である。
上記続編として、2009年4月から2010年3月にかけて放送された、47都道府県制覇・地球1周40,000km走破を目的とした第2弾については『走る男II』を参照
上記続編として、2010年4月から2012年3月にかけて放送された、ジョギングの単発企画で構成された第3弾については『走る男F』を参照
上記続編として、2012年4月から2013年3月にかけて放送された、走る男女子部による東海道走破を目的とした第4弾については『走る男女子部』を参照
上記続編として、2013年4月から2014年3月にかけて放送された、日本一周を目的とした第5弾については『走る男 THE FINAL』を参照
また、走る男は上記5番組に出演する森脇健児の愛称でもある。 東名阪ネット6共同制作の第2弾として制作され、タレントの森脇健児が北海道・洞爺湖から沖縄県・首里城まで2500km[1]を走り、日本を走破するまでの記録を放送する。期間はほぼ1年(2008年3月12日 - 2009年2月22日)。また、ブログ形式の公式ページで随時ジョギングの様子が更新され、夜には森脇自身が入力した日記も公開された。 KBS京都で放送されていた、森脇がアポなしで町に繰り出し一般人とふれあう番組「らくらぶR」の中の「琵琶湖一週サイコロふれあい旅」と「京都縦断サイコロふれあい旅」の二シリーズを踏襲した番組で、森脇が芸能生活をかけて持ち込んだ企画でもある。 ジョギングのスタート地点に一般人が応援に集まり、森脇と伴走することが毎回のようにあった。地元のみならず遠方から駆けつけて伴走した一般人も多い。また伴走だけでなく、番組ページへの書き込み等による情報提供などで一般視聴者が参加して番組を支えた。森脇の真摯な姿が当初の予想を上回る反響を呼び、第二弾である走る男IIに受け継がれた。 第1弾の「カルチャーSHOwQ」とは違い、東名阪ネット6加盟の各局の放送時間が異なり、また加盟していない局にも番組販売を行っている。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年7月) 1km走るごとに、ジョギング貯金として500円を得る。そしてそのお金で飲食・宿泊等を行う。あまり走れなかった日などには飲食代・宿泊費が足りないなどの事態も起こりうる。ちなみに何を食べるのか・何処で泊まるのか、どの道を行くのかは森脇の自由である。当初企画書段階ではジョギング貯金というアイデア以外に、県境を越えたら30000円加算というアイデアもあったようだが(出典:DVDコメンタリ)、それはボツになっている。 後に放送される『走る男F』においても、当番組と同様の企画として「全県制覇の旅」があり、ジョギング貯金のルールが継承されている。 北海道→青森県→秋田県→山形県→新潟県→福島県→栃木県→茨城県→埼玉県→千葉県→(東京都)→神奈川県→静岡県→愛知県→三重県→滋賀県→京都府→大阪府→兵庫県→徳島県→香川県→愛媛県→山口県→福岡県→佐賀県→熊本県→宮崎県→鹿児島県→沖縄県 詳細な走行コースに関しては ⇒走る男シリーズ#走る男 - ⇒日本ウィキア(外部ウィキ)を参照 放送対象地域放送局系列放送日時放送期間
目次
1 番組概要
2 エピソード
3 ルール
4 走行コース
5 ネット局
5.1 備考
6 スタッフ
7 テーマ曲
8 関連商品
8.1 DVD
8.2 本
9 脚注
10 外部リンク
番組概要
エピソード
番組制作会社担当プロデューサーの東郷一重によると、本番組の企画を東名阪ネット6局のプロデューサーの前でプレゼンしたところ、森脇と繋がりの深いKBS京都以外の人間からは「今更森脇健児じゃないだろう」との声が上がったという。その時にすかさず東郷は「今だから森脇健児なんです!」と言い無理矢理押し切ったという。
本番組の予算は非常に限られており、森脇に同行するスタッフは担当ディレクターとカメラマン(カメラマンはディレクターが兼務。東郷プロデューサーその他スタッフが同行することもある)の2名のみで、ディレクターは運転手も兼ねていた。また地方に行く際は必ず旅行会社の格安パックチケットであるとのことである。森脇自身は「価格破壊」のテレビ番組と雑誌のインタビューで答えている。
2008年7月26日、洞爺湖(北海道)から新船橋駅前(千葉県)までの1076kmを走破した時点で森脇が頸椎に椎間板ヘルニアを発症していた事が判明したため、森脇自身の走行は症状が回復するまで休止することとされた。このトラブルに見舞われたとき、番組が半年で打ち切りになる話も実際に出たという。そのピンチを解消すべく東郷プロデューサーが打ち出したアイデアが「視聴者による代走」であった。8月3日、公式サイト上の一般公募で集められた43人のランナー達が代走として森脇を引き継ぎ新船橋駅前からみなとみらい(神奈川県)までの55kmを駅伝形式で走破した。この代走区間は、後に日本縦断完走後「夏休みの宿題のやり残し」として森脇自身が2日をかけて走破している。
素人ランナーの伴走者に混じり、森脇との親交が深い薬師寺保栄、千葉真子、森脇の後輩タレントにあたる安田大サーカス、みょーちゃん、かみじょうたけしなどの著名人が伴走に駆けつけたこともあった。また伴走という形ではないが、有森裕子、笑福亭銀瓶、森脇の師匠である若井はやと、河島あみる、河島翔馬
ぼんちおさむ、松村邦洋や構成作家の小原信治が当番組を視聴し絶賛していた。特におさむは第32区の回を見て、「感動した!」と森脇の携帯電話に泣きながらわざわざ感想を伝えた程である。また明石家さんまも『走る男』を見ていたそうで、『痛快!明石家電視台』のなかで「あれ(あの番組)、どういうロケ体制で撮っているんやろ」と不思議がり、そして、「なんで番組内であんなに上から目線でしゃべるねん」と感想を述べながら、走り終わった後の森脇の真似までやってみせている。
当番組スタッフの並川洋介は河島あみるの夫であり、その縁もあってテーマソングの依頼を弟の翔馬に持ちかけた。それで出来上がったのが「風を切って」だが、この曲では番組と合わない、という意見になり、やがて「ジョギング」が誕生した。
ルール
走行コース
ネット局
埼玉県テレビ埼玉
(テレ玉)独立UHF局
(東名阪ネット6加盟)
Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef