走り屋
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「ストリート・レーサー」はこの項目へ転送されています。2008年のロシア映画については「ストリート・レーサー (映画)」をご覧ください。

走り屋(はしりや)とは高速道路や山岳道路などの公道自動車オートバイに乗り、スピードを出して走ることを特に好む人々のことで法定速度や安全面に全く配慮しない迷惑・犯罪行為を行う集団でもある[1][2][注 1]警察の使用する「違法競走型暴走族」と言う呼称やほぼ同義の英語「ストリート・レーサー (Street Racer) 」のように、いわゆる暴走族(共同危険型暴走族)とは違って集団で街を徘徊するのではなく、人里離れた(=障害物となる他の交通が少ない)山道などを好み運転技術や車の動力性能に重きを置く傾向を持つ。報道機関などは出没する場所や行動により「ローリング族」「カミナリ族」「ルーレット族」「ドリフト族」などとも呼ぶ。

同様の暴走族は、若者にも自動車が普及した国や地域であればほぼ普遍的に見られるが、その文化は大きく異なっているため本稿では主に日本に関して説明する。

1990年代の2輪ローリング族1995年頃の道坂トンネル付近の道路。ローリング族の走行が確認できる。

概要

日本において公道レースを行う者は、1960年代までは「カミナリ族」と呼ばれたが、1970年代以降「暴走族」として扱われるようになった。この頃からグループごとに特徴が表れ、暴力行為で制圧しようとするグループと、運転技術で勝負しようとするグループに大別される。後者が「街道レーサー」と呼ばれ、後に「走り屋」へと呼称が変遷していった。1980年代から1990年代にピークを迎え、その後は法律やマナーの問題、走り屋の間で人気のあるスポーツカーの減少などで衰退傾向にあるが、現在も各地に存在する[5]

公道をレース場のようにして1人、あるいは集団で暴走行為を行う[6]。集団で暴走行為を行う場合は、実際に公式な競技に参加していなくとも「チーム」を自称することもある。見物人(ギャラリーと呼ばれる)が集まって行われる「レース」の種別は多岐にわたるが、レース競技を模しているものの合法性に欠ける行為であることから、公に広報を行った「行事」として活動されることはなく、あくまでも非公式な「集まり」として展開される。

主として深夜帯において、高速道路や俗に「」と称される曲がりくねった山岳道路、埠頭や開発途中の新市街地、河川敷や駐車場などで、いかに速く、そして格好良く走るかを追求した走行を行う。しかし大半が公道であるがゆえに、指定速度の極端な超過(「その進行を制御することが困難な高速度(刑法第208条の2)」)や、場合によっては車両の不正改造などによる違法行為を伴うことがある。他の一般車や歩行者(身を守るために歩行自体を避けざるを得ない場合もある)に危険を及ぼしたり通行の妨げになるほか、近隣住民への騒音被害[7]や道路設備の損壊(ドーナツターンなど路面のタイヤのスリップ痕も器物損壊罪である)などが社会問題になった。

可処分所得や可処分時間の多くを自動車の改造や維持に投じる者も少なからずいる[8]。ある程度の年齢に達すると結婚出産など個々の生活環境の変化によって遠ざかることが多い。

土屋圭市織戸学など、走り屋として腕を磨きプロにまで上り詰めたレーシングドライバーやバイクレーサーも存在する。
呼称

走り屋とは、もともとは第三者が運転に秀でている者に対し称号的につけた呼称であったが、現在ではいわゆる「走り屋」(違法競争型暴走族)がいわゆる「暴走族」(共同危険型暴走族)と同一視されることを嫌い、時には「走り屋」という呼称に誇りを持って「走り屋」を称することが多い[8][9]。「『走り屋』は嗜好の対象が車両または車両の運転にある場合が多く、社会に与える迷惑は副次的に発生する事象であり、一方で『暴走族』は集団で迷惑行為(暴走、暴力など)そのものを嗜好する場合が多い」という観点で区引きが可能である。ただし実際は、前述のように副次的なもの以外にも迷惑行為を行う違法競走型暴走族がおり、また共同危険型暴走族から違法競走型暴走族への流入傾向もあるなど、両者ともさまざまな形態が存在するため境界線は明確でない。

ただこの呼称について、特にそれらマニアからは好意的な解釈をもって受け止められており、自動車関連のプロや評論家の紹介にも使用されることがある[10]

走る場所によって、警察やマスコミから、「ゼロヨン」「ドリフト族」「ルーレット族」「環状族」「ローリング族」「峠族」といったように呼ばれることもある[8]
歴史
勃興

1970年代後半以降、1950-1960年代のカミナリ族の嗜好を受け継ぐ、「暴走族」の中でも運転技術や速さを重視する集団が「街道レーサー」と呼ばれるようになり、後に「走り屋」という名称が生まれる。

また、サーキットなどのモータースポーツ施設が多くなかった1970年代には、正規の競技会以外に練習をしようとも、専用コースを借りることは極めて困難であった。それゆえ、公認競技に出場するドライバーでさえ、深夜の峠道や河川敷、林道を走り込んで腕を磨くことは一般的であり、現在よりも公認の競技と非公認の違法走行の境目は曖昧であった[9]
発展・隆盛

1980年代になると、ラリーなどに使用されるナンバー付き競技車両の規定が、公害や交通事故の増加などを重く見た行政の干渉を受けて大きく変更される。1980年にはエンジン関連の改造が禁止され、1986年にはロールケージなどの競技に必要な安全装備に関する改造まで禁止される(半年後、改造車検の取得を条件に認められた)。これらを契機に、日本自動車連盟(JAF)への不信感を強め、競技から離れたり、非公認の走行へと活動の場を移した者も多かった[9]。この不合理な法規とそれを反映した行政の対策は、結果としてドライバーやチューニングショップに対して「公認」と「非公認」どちらを選ぶかの踏み絵のように機能し、モータースポーツを公認競技とストリート(走り屋)を含む非公認部門へと二分化することとなった[9]

街道レーサーの文化や法規の変化を反映したストリートでの非公認な競技走行という下地に加えて、1980年代以降自動車の高性能化が進むと、走り屋は1980年代から1990年代にかけて増加、隆盛を誇った。首都高速都心環状線を高速走行する「ルーレット族」や阪神高速1号環状線を高速で周回する「環状族」、埠頭などの港湾地区や峠道で車を意図的に横滑りさせて走行する「ドリフト族」、峠道などのカーブでバイクの車体を倒して膝を擦りながら走行する「ローリング族」、公道で停止状態から0-400mの加速タイムを競う「ゼロヨン族」など、様々な形態とそれに対応する呼称が生まれたのもこの時代である[5]

また、1990年代にはしげの秀一の『頭文字D』や楠みちはる湾岸ミッドナイト』など、走り屋をテーマとした漫画作品なども生まれ、人気を博した。特に前者は、主人公が作中で駆るスプリンタートレノ(AE86型)の中古車相場高騰や[11]、作中に登場する「溝落とし」や「インベタのさらにイン」といった走行技術を真似しようとする読者が現れるようになるなど、社会的にも大きな影響を与えた。
衰退と「若者の車離れ」

若者の車離れも参照。

いわゆる団塊ジュニア世代が成人・免許取得・乗用車を所有し始めた1990年代をピークに、その後は走り屋の減少傾向が続いている。

原因のひとつが、バブル景気の崩壊以降若者が自動車に興味を示さなくなっていったことである。バブル崩壊以降の景気悪化による収入減と、乗用車の高性能化・安全性追求による車両価格の増大という二つの経済的要因が重なり、走り屋の主要な年齢層である若者世代が以前に比べ車やオートバイに興味を示さなくなった。

また、2004年には道路交通法が改正され、共同危険行為による立件の容易化や、検挙した際の厳罰化がなされたことも、走り屋減少の原因の一つとなった[12]

加えて、四輪車に関しては、平成12年排ガス規制においてスープラRX-7スカイラインGT-Rシルビアといった走り屋に人気があったスポーツカーが次々と生産中止となり、中古スポーツカーの値崩れに歯止めがかかったことも、走り屋の衰退を加速させた。
現在

前述のように、若者の車離れの進行や、警察による取り締まりや違法競走暴走行為対策の強化、スポーツカーの減少といった要因によって、走り屋自体の消滅には至っていないものの、その絶対数は減少している。


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