赫連皇后(かくれんこうごう、? - 453年)は、中国の北魏の太武帝の皇后。 夏の赫連勃勃の娘として生まれた。427年(始光4年)、太武帝が統万を平定すると、赫連氏はふたりの妹とともに後宮に入れられて貴人となった。432年(延和元年)1月、皇后に立てられた。452年(承平元年)3月、太武帝が殺害され、南安王拓跋余が即位すると、赫連皇后は皇太后となった。10月、文成帝が即位すると、赫連皇太后は太皇太后となった。453年(興安2年)閏月、死去した。金陵に陪葬された。
経歴
伝記資料
『魏書』巻13 列伝第1
『北史』巻13 列伝第1
更新日時:2019年6月20日(木)08:00
取得日時:2019/08/03 05:56