赤頭巾ちゃん御用心
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「赤頭巾ちゃん御用心」
レイジーシングル
初出アルバム『This is the LAZY
B面恋のピエロ
リリース1978年2月5日
規格EP
ジャンルJ-POP
時間2分51秒
レーベルRCA/RVC
作詞・作曲杉山政美(作詞)
都倉俊一(作曲)
プロデュース岡村右
チャート最高順位


32位(オリコン

レイジー シングル 年表

カムフラージュ
1977年)赤頭巾ちゃん御用心
(1978年)燃えろロックン・ロール・ファイアー
(1978年)

『This is the LAZY』 収録曲

ヘイ! アイ・ラブ・ユー!
(2)赤頭巾ちゃん御用心
(3)ハロー・ロスアンジェルス
(4)

『レイジーを追いかけろ』 収録曲

ヘイ! アイ・ラブ・ユー
(13)赤頭巾ちゃん御用心
(14)

『Collection?情熱の青春』 収録曲

二人の宝島
(10)赤頭巾ちゃん御用心
(11)燃えろロックン・ロール・ファイアー
(12)

ベスト』 収録曲

カムフラージュ
(3)赤頭巾ちゃん御用心
(4)ダンス・ウィズ・ミー
(5)


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「赤頭巾ちゃん御用心」(あかずきんちゃんごようじん)は、1978年2月5日RVC(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)より発売されたレイジーの3枚目のシングル
解説

前作「カムフラージュ」が周囲の期待ほどには売れ行きが伸びず、事務所から「次で売れなければ契約打ち切り」と最終通告されたレイジーが起死回生として発売したシングルで、彼らにとって初の大ヒット曲となった[1]。逆を返せば、レイジーのメンバーたちは「このシングル3枚目が売れなかったら、契約を解除されハードロックバンドに戻れる」と、希望的観測をしていた(特に高崎、樋口)が、希望を裏切られアイドルグループとしての活動を継続させられる羽目になってしまった。その苦い思い出から、再結成後の「ライヴでの演奏封印」に繋がった。

ピンク・レディーの振付師で知られる土居甫による振り付けがつけられ、カラフルな衣装を纏うなど、当時の彼らが要求されていたベイ・シティ・ローラーズ風の路線を色濃く反映した曲となった[1]。20万枚以上の売り上げを記録し、初めてオリコンの全国ランキングにランクインした。1978年3月5日発売のアルバム『This is the LAZY』に収録、ベスト・アルバムにも必ず収録される代表曲である。

一方、元々ハードロックを目指していた当人たちにとっては、この曲は必ずしも望ましいものではなかったようである。この曲のヒットによって本来の路線とは異なるアイドル的なイメージが定着してしまったこと、その後再びヒット曲が少なくなってしまった[2]ことも、未だメンバーに複雑な感情を抱かせる要因となっている。

再結成後のライブではこの曲は封印され、冗談でイントロのフレーズが断片的に演奏されることはあっても、きちんとした形で演奏されたことは一度も無い。影山ヒロノブは、自身がパーソナリティを務めていたラジオ番組『ラジオ・スーパーロボット魂』でこの曲が話題に挙がった際に「当時の印象が強すぎるので(完全なハードロックバンドと化した)再結成後は歌えない」と発言している。高崎晃に至っては「この曲を演奏しないこと」を再結成の条件にしたほどである[3]1999年渋谷公会堂ライブで影山が「それは次の解散ライブの時にやろう」と発言したが、これも冗談めかした言い方である。

高崎の他に生前の樋口もこの曲を極端に嫌っていたが、影山・井上俊次(生前晩年の田中も)は現在はそこまでは嫌っておらず、高崎や生前の樋口が関係していない場所では歌ったり演奏したりする事がある[4]


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