赤道祭
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ブルー・リッジの赤道祭(2008年5月16日)

赤道祭(せきどうさい、英語: Line-crossing ceremony)とは、乗船中に初めて赤道を通過した船員に対して行われる通過儀礼[1]、またはそこから発展した船上での祭り。
概要フランス海軍メデューズで行われた赤道祭(1816年7月1日)

元々はを通過する際の儀式に由来する。帆船の大型化と天測航法の発達により外洋でも正確な位置を特定できるようになり、ヨーロッパから南半球への航海も可能となったが、赤道付近では北東貿易風と南東貿易風の間にある熱帯収束帯(赤道無風帯)は風が弱くスコールが発生しやすいなど木造帆船にとっては難所[2]であった。このため船乗り達は赤道を通過する際に安全を祈願する儀式を行うようになったとされる。

ビーグル号の艦長を務めたロバート・フィッツロイは、オットー・フォン・コツェブースペインポルトガルイタリアの船で行われる儀式が士気高揚に有益であるという1839年の記述を引用している[3][4]

1800年代にはイギリス海軍フランス海軍でもこのような行事が行われたことが記録されており、後に海軍を編成した国でも航海術と同時に広まった。

赤道を通過したことは熟練した船乗りの証でもあり、経験者は『甲羅 (Shellbacks)』『ネプチューンの息子 (Sons of Neptune)』と呼ばれ尊敬される[5]。対して未経験者は『オタマジャクシ (Pollywogs)』と呼ばれる[6]

海軍の練習艦隊商船員養成所の航海訓練では新人が多いことから、乗員の士気や団結心を高めるため、航海中は娯楽が少ないことからレクリエーションとしての側面もあり、仮装や芸を披露する場ともなった[7][8]。水上艦だけでなく潜水艦でも行われる。欧米の海軍では任務中に赤道を越えたことを証明する証書を発行しており、赤道を越えた者は熟練者と見なされている。

現代ではレクリエーション的な側面が強く、クルーズ船では乗客をもてなすパーティーとしている船も多い。

往路に越える際に行う『赤道祭』に対し、復路で越える際には『裏赤道祭』として別途行う船もある[9]

ユタの乗員に発行された証明カード(アメリカ海軍)

ソ連海軍が発行した証明書

アンソンの乗員に発行された証明書(イギリス海軍)

内容

内容は概ね寸劇と仮装である。

イベントは2日間にわたり行われる[10]

赤道を越えた経験がある内で最年長の者がネプチューン役となり、従者としてディヴィ・ジョーンズなどを従え寸劇が行われ[11]、続いて未経験者に対する洗礼が甲板上で行われる。

仮装はネプチューンなどの海神、ヴァイキングなどの海賊に加え、女装が多い。

寸劇と仮装以外は国や船により異なり[10]、最後に未経験者らが甲板上から海へ飛び込む(アメリカ海軍)、甲板上にプールを設置し未経験者を台の上から落とす(イギリス海軍)などがある、

ポーランド海軍練習艦『ORP Wodnikの赤道祭で仮装する乗組員(2003年8月20日)

原子力潜水艦トライトンの赤道祭。黄色いケープを羽織っているのがディヴィ・ジョーンズ(1960年2月24日)

HMS メルボルンの赤道祭でプールに落とされる兵士(1926年)

ブルー・リッジの赤道祭で海に飛び込む兵士(2012年5月8日)

日本

日本では明治以降、本格的に導入された西洋の航海技術と共に船乗りの習慣も伝わったが、既に無風地帯も難所ではない時代であり、大航海時代はおろか帆船による外洋航海の経験も少ない日本人には、帆船時代の行事という教科書な認識を越えることはなく、船乗りの通過儀礼という側面は継承されなかった。

帆船による世界周航の経験も豊富なイギリス海軍を手本とした大日本帝国海軍では、海軍カレーウイスキーと同様に船乗り文化として導入されたが、通過儀礼とは認識されず、『航海の無事を神仏に祈る』『乗員による仮装などの余興』という表面的な導入がなされた。


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