赤谷線
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赤谷線
廃止直前の赤谷線
さよなら運転のヘッドマークが飾られた
1984年3月20日・新発田駅3番線
基本情報
日本
所在地新潟県新発田市
起点新発田駅
終点東赤谷駅
駅数7駅(ほか仮乗降場1箇所)
電報略号アカセ[1]
開業1925年11月20日
廃止1984年4月1日[2]
所有者日本国有鉄道
運営者日本国有鉄道
路線諸元
路線距離18.9 km
軌間1,067 mm
線路数単線
電化方式非電化
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例


白新線


0.0新発田駅


羽越本線




(2.9)(仮)東中学校前仮乗降場


4.1五十公野駅


6.5新江口駅


8.5米倉駅


11.2新山内駅


14.1赤谷駅


夏井川橋梁


18.9東赤谷駅


日鉄鉱業赤谷鉱山専用鉄道

赤谷線(あかたにせん)は、かつて新潟県新発田市新発田駅と同市の東赤谷駅を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線地方交通線)である。1980年(昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行を受けて第1次特定地方交通線に指定され、1984年(昭和59年)4月1日に全線が廃止された。

路線名は「あかたに」であるが、赤谷村の村名をはじめ、地域名としては「あかだに」と読まれることも多い[3][4][5][6]
歴史

新発田 - 赤谷間は、赤谷付近から産出する鉄鉱石の輸送のため、官営製鉄所の専用線として1920年[7](1922年(大正11年)12月とする説もある)に敷設されたものであるが、第一次世界大戦後の不況のため使用されることなく放置されていたものを、地元の請願によって鉄道省が1925年に無償譲渡を受けて、赤谷線として開業したものである[8]

末端の赤谷 - 東赤谷間は、鉄鉱山の再開発のため1941年に延長されたもので、東赤谷には鉱山からの積み出し施設が設置された。東赤谷駅は、33の急勾配を登ったところにあり、国鉄唯一のスイッチバックの終着駅であった。

1920年大正9年) : 新発田 - 箕立沢(赤谷)が農商務省製鉄所専用線として開業(1925年4月商工省発足に伴い同省に移管)。

1925年(大正14年)11月20日 : 商工省製鉄所専用線の一部を無償譲受し新発田 - 赤谷 (14.1km) を赤谷線として新規開業。五十公野・米倉・赤谷の各駅を新設[9]

1941年昭和16年)6月1日 : 赤谷 - 東赤谷 (4.8km) を延伸開業し全通。東赤谷駅を新設[10]

1955年(昭和30年)3月 : 沿線の北蒲原郡五十公野村米倉村赤谷村がすべて新発田市に編入され、全線新発田市内となる。

1963年(昭和38年)11月15日 : 新江口・新山内の各駅を新設。

1970年(昭和45年)10月 : 蒸気機関車の運転を廃止(主に新津機関区のC11 245・269)[11]

1973年(昭和48年)4月1日 : 東中学校前仮乗降場を新設。

1981年(昭和56年)9月18日 : 第1次特定地方交通線として廃止承認。

1984年(昭和59年)

1月20日 : 全線の貨物営業を廃止[12]

4月1日 : 全線 (18.9km) を廃止[2]新潟交通にバス転換[2](後に新潟交通北、さらその後新潟交通観光バスに移管。詳細は後節参照)。


運行形態

1970年代時点では、朝3往復・夕方3往復が運行され、沿線の小中学生による通学利用もあった[13]。特に1973年に開校した東中学校は、全校生徒のうち半数近くが列車通学であった[13]

1970年代までは貨物列車の牽引にC11形蒸気機関車が使用されていた[13]

晩年の旅客列車はキハ40系キハ52形キハ58系などの気動車で運行され、急勾配を含むため、2エンジン車を編成中に含む形で運用された[13]
駅一覧

接続路線の事業者名は赤谷線廃止時。全駅新潟県新発田市に所在。

駅名駅間キロ営業キロ接続路線
新発田駅-0.0日本国有鉄道:羽越本線白新線
東中学校前仮乗降場-(2.9) 
五十公野駅4.14.1 
新江口駅2.46.5 
米倉駅2.08.5 
新山内駅2.711.2 
赤谷駅2.914.1 
東赤谷駅4.818.9 

廃止後の状況

線路跡地は新発田市へ売却され、サイクリングロード遊歩道として整備されている[14][15]


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