赤穂鉄道
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赤穂鉄道
種類株式会社
本社所在地 日本
兵庫県赤穂郡赤穂町加里屋2380[1]
設立1915年(大正4年)5月7日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、バス事業[1]
代表者専務 寺田啓二[1]
資本金648,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]
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播州赤穂駅で開かれた赤穂鉄道開通式
1921年4月14日
概要
現況廃止
起終点起点:有年駅
終点:播州赤穂駅
駅数9駅
運営
開業1921年4月14日 (1921-04-14)
廃止1951年12月12日 (1951-12-12)
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長12.7 km (7.9 mi)
軌間762 mm (2 ft 6 in)
電化全線非電化
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例


国鉄山陽本線


0.0有年駅


2.3富原駅


3.8真殿駅


5.7周世駅


千種川


6.5根木駅


7.6目坂駅


9.4坂越駅


国鉄:赤穂線


坂越駅


10.2砂子駅


播州赤穂駅


12.7播州赤穂駅

赤穂線と当鉄道は
同時に存在していない

赤穂鉄道(あこうてつどう)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)山陽本線有年駅から播州赤穂駅(赤穂線播州赤穂駅とは別駅)までの鉄道路線を運営していた鉄道事業者である。

本項では、主に運営していた鉄道路線について記述する。
概要

播磨国兵庫県西部)の西端にあり、赤穂藩赤穂事件などで著名)の城下町であった赤穂町(後に赤穂市)は、瀬戸内海に面し、塩田を擁する製塩地としても知られていた。しかし、1890年(明治23年)に山陽鉄道が路線(現在の山陽本線)を山間部に敷設すると鉄道ネットワークから取り残されたため、鉄道を同線の有年駅から町中心部まで敷設しようとする発案が幾度か挙がったが、いずれも予算問題で立ち消えとなっていた。

しかし1910年(明治43年)に軽便鉄道法が公布されたことから、これを契機として軌間762mmの軽便鉄道の敷設が決定され1915年(大正4年)に会社創設、1921年(大正10年)に開業した。

赤穂鉄道はの輸送のほか、観光誘致にも積極的で、赤穂周辺においてバス事業も展開した。

戦後、山陽本線相生駅と接続する国鉄赤穂線が開業することになったため、1951年(昭和26年)に廃止となった[2]

なお、「赤穂」は『和名類聚抄』の「播磨国郡郷考」で「阿加保」と表記されるなど「あかほ」と表記された[3]。1921年(大正10年)に撮影された播州赤穂駅の駅名板の写真には右から左に平仮名で「ばんしうあかほ」とある[3]
路線データ

路線距離:有年 - 播州赤穂間12.7km

駅数:9

軌間:762mm

複線区間:なし(全線単線

電化区間:なし(全線非電化

動力:蒸気内燃

運行概要

1950年(昭和25年)11月改正時

旅客列車本数:日9往復

所要時間:全線44 - 45分

沿革

播州赤穂に通じる鉄道としては、4つの構想があった。最初の構想は、1896年(明治29年)に出た播州鉄道の構想で、ほぼ赤穂鉄道のルートで有年に出て、さらに北の上郡を目指したものであったが、軌間の選択でもめて実現しなかった。

続いて明治30年代に赤穂鉄道の構想が打ち出された。これはほぼ現在のJR赤穂線のルートに沿って岡山県側の西大寺まで結ぶものであったが、これも実現しなかった。また1907年(明治40年)には播備鉄道の構想が打ち出され、龍野から姫新線と赤穂線のルートに近い経路で播州赤穂まで結ぶものであったが、これも実現しなかった[4]

1910年(明治43年)に4番目に打ち出された播美線の計画が、実際に建設された赤穂鉄道へ通じるものとなった。これは上郡からさらに岡山県北部の美作地方までを結ぶものであった。1913年(大正2年)2月8日に軽便鉄道の敷設申請を提出して、すぐに許可を取得した。実際には播美線の計画は縮小されたため、上郡までの建設になった。

1915年(大正4年)5月7日に赤穂鉄道株式会社が発足したが資金的に苦しく、有年以北の上郡までの区間は見送り、また坂越支線も中止して播州赤穂 - 有年間のみを建設することになった。1921年(大正10年)4月14日に開業した。

開業後は赤穂からの塩の輸送が行われ、赤穂の塩をさらに全国に広めて赤穂の産業発展に貢献した。また積極的に観光開発に努め、赤穂義士の史跡などを生かして京阪神方面からの観光客を輸送した。赤穂周辺の住民の生活は赤穂鉄道の開通により大幅に便利になったという。

営業実績の方は当初はふるわず、赤字がしばらく続いた。昭和初期には蒸気機関車に代わってガソリンカーが導入され、列車の増発が行われると共に播州赤穂駅の移転・改築が行われた。業績は次第に上向き、1938年(昭和13年)頃からは配当も行えるようになった。

第二次世界大戦後、年間輸送量が100万人を超えるピークを迎えた。その後は落ち着くが、特に経営に支障はない状態で安定していた。しかし国鉄赤穂線が建設されることになり、これに役割を引き継いで発展的に解消することになった。1951年(昭和26年)12月11日22時に最終列車が播州赤穂駅に到着、翌12月12日から国鉄赤穂線が開業して赤穂鉄道は廃止となった。
年表

1913年(大正2年)3月28日鉄道免許状下付(赤穂郡
塩屋村-同郡坂越村間)[5]

1915年(大正4年)5月7日 赤穂鉄道設立[6][7]


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