赤穂事件を題材とした作品
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ここでは、赤穂事件を扱った演劇文芸作品、映像作品その他のフィクション、および評論について説明する。
事件を題材とした作品
歌舞伎・人形浄瑠璃詳細は「忠臣蔵」を参照忠臣蔵十一段目夜討之図。(江戸後期 歌川国芳)この絵は大衆に不評で続編が打ち切りになった[1]三代目市川八百蔵の竹森喜多八(武林唯七)。(勝川春英画)「仮名手本忠臣蔵」より富之森祐右衛門正固。(江戸後期、歌川国芳)

赤穂事件がはじめて舞台に取り上げられたのは、討ち入り決行の翌年である元禄16年の正月、江戸山村座の『傾城阿佐間曽我』(けいせいあさまそが)の五番目(大詰)である。曾我兄弟の仇討ちという建前で赤穂浪士の討入りの趣向を見せた。討入りから4年後の宝永3年(1706年)には、この事件に題材をとった近松門左衛門作の人形浄瑠璃『碁盤太平記』が竹本座で上演されている。しかし、幕府は「前々も令せられしごとく、当世異事ある時、謡曲芝居小歌につくり、はた梓にのぼせ売りひさぐ事、弥々停禁すべし。戯場にても近き異事を擬する事なすべからず(大成令)」と禁令を出し、この事件を扱うものは現れてきていない[2]

そしてその集大成が45年後の寛延元年8月(1748年8月)に上演された二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作の人形浄瑠璃仮名手本忠臣蔵』が初演され、同年12月(1749年1月)には歌舞伎として上演された。同作は多くの観客を呼び、事件を元にした作品群の代表的存在となっている。以降、浄瑠璃・歌舞伎の人気題材となり、以下の作品がある:

仮名手本忠臣蔵

『太平記忠臣講釈』(明和四(1799)年)- 近松半二ら6名の合作第十段「討ち入り」が実はであったという落ちで終わる異色作。

『義臣伝読切講釈』(天明八(1788)年)- 浄瑠璃原作ではない歌舞伎オリジナル。

『江戸花赤穂塩竈』(寛政八(1796)年)- 『日本花赤穂塩竈』の改題。滑稽もの。

『忠臣蔵 田舎草紙』(享和三(1803)年)- 十返舎一九が浄瑠璃作家として書いたもの

『田舎忠臣蔵』(文化元(1804)年)大星らの台詞が朴訥な農民の言葉で語られる。

『菊宴月白浪』(文政四(1821)年)- 鶴屋南北作。 『仮名手本忠臣蔵』のもじり(パロディ)。近年三代目市川猿之助が百数十年ぶりに復活上演。

元禄忠臣蔵』- 真山青果作。二代目市川左團次のために書き下ろされた一連の新歌舞伎の演目。内容が史実から逸脱し、興行としては失敗作とされる。

銘々伝:

清水一角』- 二代目河竹新七

松浦の太鼓』- 三代目瀬川如皐原作、勝諺蔵 作。討ち入りを待ち望む松浦(まつうら)侯[3]と、俳句を通じて交流がある宝井其角・大高源吾などの絡み。

土屋主税』- 初代中村鴈治郎のお家芸、『松浦の太鼓』とほぼ同じ設定。

仮名手本硯高島』 -河竹黙阿弥作。通称『赤垣源蔵』。安政5年(1858年)5月、江戸市村座で初演。

弥作の鎌腹

外伝:

東海道四谷怪談』- 鶴屋南北作。仮名手本忠臣蔵の外伝として作られており、初演時は『仮名手本忠臣蔵』と合わせて2日にわたって上演された。

盟三五大切』- 鶴屋南北作。猟奇殺人鬼の源五兵衛は実は不破数右衛門その人で、最後に討ち入りの迎えが来るや即座に忠義に生きる義士にもどる。

『忠臣蔵後日建前』(女定九郎)- 三人の主役たちの妻たちの後日談。定九郎の妻が与市兵衛妻・勘平妻に仇討ちする。

落語

講談で盛んに口演されたこともあり、落語では、『仮名手本忠臣蔵』がくすぐり落ちとして使われることもある。『仮名手本忠臣蔵』そのものを題材とする場合もある。

なお、各段に対する落語は複数存在し、赤穂市総務部市史編さん室の『忠臣蔵第四巻』には「十段目」という話が6つも載っている。また八段目十一段目を題材とした落語は存在しないといわれている事もあるが、同書には「八段目」と「十一段目」がそれぞれ一つずつ載っており、その他に「八段目道行」、「十一段目大切かたき打」という話も載っている。

大序
『村芝居』 - 農村の秋祭りに地元の男たちで忠臣蔵の芝居をすることにしたが、師直の烏帽子の中に蜂の巣が入っていて…。

二段目
芝居風呂

三段目
『質屋芝居』

四段目
『蔵丁稚』 - そのまま『四段目』という演題でも演じられる。『淀五郎』 - 判官切腹の場面が落ちとなる。

五段目
中村仲蔵』- 定九郎の役を演じた役者初代中村仲蔵の話。通常落ちは無い。『軒づけ』 - 主人公の失敗譚として噺の序盤に登場する。

六段目
鹿政談』 - くすぐりが使われる。

七段目
『役者息子』 - そのまま『七段目』という演題でも演じられる。芝居好きの若旦那が丁稚と二階の部屋で平右衛門とおかるの件を演じ、丁稚が階段の一番上の段から落ちて「怪我はないか」「なあに、七段目」という落ちになる。これを得意とした二代目三遊亭圓歌は、出囃子も七段目幕開きの音楽だった。

九段目
『九段目』 - 店のものが素人芝居で九段目を上演しようとするが、加古川本蔵を演じる役者が病気で倒れてしまった。急遽代役を頼んだところ、やってきたのは田舎者の按摩、もとは萬歳の太夫という人物で……。見せ場のせりふが途中から萬歳になってしまうという落ち。

十段目
『天野屋利兵衛』 - いわゆる「バレ噺」。女と間違えられた天野屋利兵衛が、「天野屋利兵衛は男でござる」と言う落ち。

この他、新作落語では『仮名手本忠臣蔵』全体を題材にすることも試みられている。『吉良の忠臣蔵』(立川志らく)、『カマ手本忠臣蔵』(柳家喬太郎)、『AKO47?新説赤穂義士伝?』(月亭八方)、『殿中でござる』(春風亭小朝)などの作例がある。
浪曲

『義士伝』
桃中軒雲右衛門

『大和桜義士の面影』 吉田奈良丸

『サカナ手本忠臣蔵』 玉川太福

端唄・小唄

花柳界では、人気のある芝居をもとにした端唄小唄が作られることがある。『忠臣蔵』では「笹や節」が代表である。『忠臣蔵』を元とした浪曲『義士伝』が直接の参照元といわれ、俗曲に分類される曲でありながら、浪曲的な歌い方をする個所がある。歌詞については流派により異なるが、内容としてはほぼ同じなため、以下に歌詞の一例をあげる。笹や 笹笹 笹や笹 笹はいらぬかすす竹を 大高源吾は橋の上 あした待たるる宝船赤の合羽に 饅頭笠 降りくる雪も いとわずに 赤垣源蔵は 千鳥足 酒にまぎらす いとま乞い胸に血を吐く 南部坂 忠義にあつき 大石も 心を鬼に いとま乞い 寺坂来たれと 雪の中
英訳

アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード Tales of Old Japan 収録の"The Forty-Seven ronins"(1871)

アルジャーノン卿は討ち入りを「A terrible picture of fierce heroism」(激しいヒロイズムの恐ろしい絵)と表現している[4]


Dickins, Frederick Victor, Chiushingura - or the Loyal League, Yokohama, 1874?75.

英字新聞 The FarEast に連載。


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