赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1979年1月24日)は、北海道旭川市出身の日本史学者。 北海道鷹栖村(現旭川市)の真宗大谷派の寺院光岸寺に次男として生まれる。三高[1]を経て、京都帝国大学文学部史学科に進み、三浦周行・西田直二郎・中村直勝らに学ぶ。同期に清水三男がいる。1931年京都帝国大学文学部史学科卒[2]。京都府嘱託・主事として、府下の社寺宝物や史跡の調査に従事。1949年京都府教育委員会文化財保護課の初代課長。東寺百合文書のうち、東寺にて放置されたままであった文書群の存在を確認してその解読にあたり、その成果を「東寺百合文書」として発表する。(後年に発表論稿を含めて『教王護国寺文書』として平楽寺書店から刊行する。)その成果もあり1951年母校京大の助教授に転じ、1953年教授に就任。1962年「供御人、惣の研究」により京都大学から文学博士[3]、1971年定年退官。同名誉教授。翌年より大谷大学文学部教授に就任、1975年より四天王寺女子大学(現四天王寺大学)文学部教授を歴任した。綿密な文献研究に基づく実証主義的な学風で、政治史・社会経済史・文化史などに優れた業績を残した。また、第二次世界大戦中の文化財の緊急調査と疎開や、1950年に焼失した鹿苑寺舎利殿(金閣)の再建に奔走するなど、文化財保護上における功績も大きい。1974年に紫綬褒章を受章。 22歳のとき抱いた、愚管抄の平家の動向の記事と平家物語の記事の相互の関係について、「平家の記事を慈円は参考にして愚管抄を書いたのではないか」という疑問を長年抱き続け、50歳を過ぎてからも仮定から実証へと昇華しようという思いが捨てられなかったという。読み本系の「延慶本平家物語
目次
1 経歴
2 晩年の研究
3 著書
3.1 単著
3.2 編著
3.3 年譜・著作目録
4 参考文献
5 脚注
経歴
晩年の研究
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更新日時:2020年1月19日(日)09:11
取得日時:2020/02/09 21:00