赤塚
町丁
赤塚山乗蓮寺
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度46分43秒 東経139度38分40秒 / 北緯35.778653度 東経139.644544度 / 35.778653; 139.644544
国 日本
都道府県 東京
特別区 板橋区
地域赤塚地域
人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1])
人口32,253 人
世帯数18,498 世帯
面積([2])
1.929530117 km²
人口密度16715.47 人/km²
郵便番号175-0092[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート板橋
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赤塚(あかつか)は、東京都板橋区の町名[5][6]。現行行政地名は赤塚一丁目から八丁目。全域で住居表示が実施されている。 板橋区西部に位置し、主として武蔵野台地の北東端で、関東ローム層に覆われる一帯に位置する。北部で三園、東部で大門、四葉、徳丸、南部で赤塚新町、西部で成増と接する。埼玉県境からは約300mとなっている。 「赤塚地区」と指す場合、一般的には赤塚新町(あかつかしんまち、郵便番号175-0093)も一体として認識されることがある。広義には、かつての赤塚村の範囲である赤塚新町・成増・三園・徳丸・四葉・大門・高島平・新河岸を含めて赤塚地域、赤塚地区と呼ぶこともある。また(荒川低地の)三園、高島平、新河岸を除いた部分を指す場合もある。 住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、赤塚1-23-15の地点で42万6000円/m2、赤塚2-25-31の地点で46万7000円/m2、赤塚3-38-6の地点で45万9000円/m2、赤塚5-18-11の地点で36万7000円/m2、赤塚8-4-42の地点で35万8000円/m2となっている[7]。 数百年前からの赤塚郷6ヵ村(上赤塚・下赤塚・成増・徳丸・徳丸脇・四ッ葉)は1871年(明治4年)11月に浦和県(現埼玉県)から東京府に編入され、1889年(明治22年)北豊島郡赤塚村に統合(6ヵ村の各名称は大字として継承)、そして昭和7年、東京市に編入され板橋区となった際に大字の各名称はほぼ町名に移行。 おおむね成増駅に近い西側地域(赤塚三?五丁目、三園)が上赤塚町、下赤塚駅に近い東側地域(赤塚一?二、六?八丁目、大門、高島平四、五丁目)が下赤塚町であった(どちらも南北に長い)。昭和40年代になって荒川低地の水田地帯、通称「赤塚たんぼ」「徳丸たんぼ」の土地区画整理事業が進められて高島平となり、高台の上赤塚と下赤塚は赤塚に統合された。 1970年12月18日 - 赤塚3丁目の上赤塚派出所が過激派から襲撃を受ける事件(上赤塚交番襲撃事件)が発生[8]。 「赤塚」という塚があったことによるという。 2024年(令和6年)3月31日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口
地理
広域地名
地価
歴史
地名の由来
世帯数と人口
赤塚一丁目2,326世帯3,885人
赤塚二丁目3,626世帯5,925人
赤塚三丁目3,343世帯5,094人
赤塚四丁目2,375世帯4,276人
赤塚五丁目1,883世帯3,729人
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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