赤城_(空母)
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赤城
インド洋作戦中の赤城の飛行甲板(1942年4月)
基本情報
建造所呉海軍工廠[1]
運用者 大日本帝国海軍
艦種航空母艦
級名巡洋艦計画時:天城型巡洋戦艦、空母:未分類
前級鳳翔
次級加賀
母港横須賀[2]
艦歴
起工1920年12月6日[1]
進水1925年4月22日[1]
竣工1927年3月25日[1]
最期1942年6月6日雷撃処分
除籍1942年9月25日
要目(全通式空母時)
基準排水量36,500英トン[3]
公試排水量41,300トン[4]
全長260.67m[4]
水線長250.36m[4]
水線幅31.32m[4]
飛行甲板249.17m×30.48m
エレベーター3基
着艦識別文字: ア[5]
吃水8.71m[4]
出力133,000hp[4]
速力31.2ノット[4]
航続距離8,200カイリ / 16ノット[4]
乗員最終時 1,630名[6]
兵装20cm単装砲 6門
12cm連装高角砲 6基12門
25mm連装機銃 14基28門
搭載機常用66機、補用25機
1941年12月7日保有機[7]
零式艦上戦闘機:21機
九九式艦上爆撃機:18機
九七式艦上攻撃機:27機
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赤城(あかぎ)は、大日本帝国海軍航空母艦[注釈 1]
概要

軍艦赤城は、八八艦隊計画により天城型巡洋戦艦の2番艦として呉海軍工廠で建造が始まった[注釈 2]。だがワシントン会議軍縮条約の締結により建造中止となり、同条約の制限枠内巡洋戦艦から航空母艦に改造された[注釈 3]三段式空母として完成したが、後に一段全通式空母に改装された。1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で沈没した。
特徴
名称「船名#日本」も参照

赤城の艦名は群馬県前橋市赤城山にちなんで命名された[注釈 4][注釈 5]。日本海軍の軍艦としては、摩耶型砲艦赤城に続いて二隻目[13][12]。同型艦の天城同様、巡洋戦艦の命名基準に則りから名前が取られ[14]、その名前のまま空母に改装された。航空母艦命名に関して明確な命名標準が設けられたのは昭和8年12月18日付 海軍大臣から侍従長宛文書「海軍大臣官房 官房機密第2417号」、およびそれに対して返信された同年12月19日付 侍従長から海軍大臣宛書簡によってである[15][16]
三段式空母

赤城は巡洋戦艦として完成していた船体を無理矢理空母に改造したため、当初から不具合を抱えることになった[17]。計画では、全長254m(770呎)、幅33m(110呎)、排水量27,000トン、速力31.75ノット、36機搭載という規模だった[18]。建造当初の赤城の飛行甲板イギリス海軍のカレイジャス級巡洋戦艦改造空母フューリアス (HMS Furious, 47) の第二次改装を参考にして三段式であった(フューリアスは二段)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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