赤城神社_(新宿区)
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赤城神社


拝殿
所在地東京都新宿区赤城元町1-10[1]
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分17.9秒 東経139度44分10.8秒 / 北緯35.704972度 東経139.736333度 / 35.704972; 139.736333座標: 北緯35度42分17.9秒 東経139度44分10.8秒 / 北緯35.704972度 東経139.736333度 / 35.704972; 139.736333
主祭神岩筒雄命[1]、赤城姫命
社格等旧郷社
創建伝・正安2年(1300年[1]
本殿の様式流造
例祭9月19日[1]
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赤城神社(あかぎじんじゃ)は、東京都新宿区赤城元町にある神社明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれた。
祭神

岩筒雄命(いわつつおのみこと)と、相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)を祀る。

岩筒雄命は火の神である迦具土神より生まれ、経津主神の親神にあたるという。赤城姫命は一説によると神社を創建した大胡氏の息女と伝わり、別当寺である東覚寺本地仏であった。
由緒

鎌倉時代正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる[1] [注釈 1]文安元年(1444年)には、大般若経が奉納された[2]寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された[1][注釈 2]。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される[1]江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。

江戸名所図会』では「赤城明神社」として紹介され、大胡重泰(おおごしげやす)により創建されたこと[注釈 3]、牛込の鎮守であり別当寺は東覚寺(天台宗)であることなどが記されている[3]
歴史
年表

正安2年(1300年):大胡彦太郎重治が上野国
赤城神社から勧請し、牛込早稲田の田島村に創建。

寛正元年(1460年):太田道灌により牛込台に遷座

弘治元年(1555年):大胡宮内少輔により現在地に遷座。

天和3年(1683年):江戸幕府により江戸大社に列する。

天保13年(1842年3月7日:火災により、社殿全焼。後に再建。

明治元年(1868年):明治維新に際し、名を赤城神社と改める。

明治6年(1873年):郷社に列する。

明治9年(1876年):横寺町の北野神社(朝日天満宮)を、境内社として遷座。

昭和20年(1945年4月13日太平洋戦争の戦災により、社殿全焼。

昭和26年(1951年)10月:本殿を再建。

昭和34年(1959年)5月:拝殿・幣殿を再建。

昭和37年(1962年)10月:境内社の出世稲荷神社社殿を再建。

平成17年(2005年)10月:戦災で焼失していた境内社の北野神社を、蛍雪天神として再興[4]

平成20年(2008年)3月:境内に隣接し、資金面で支えていた私立赤城幼稚園が閉園。

平成22年(2010年)9月:「赤城神社 再生プロジェクト」に伴う建て替え完成。

平成23年(2011年)10月:2011年度グッドデザイン賞(ビジネスソリューションのデザイン)受賞。

再生プロジェクト

平成21年(2009年)から22年にかけて「赤城神社 再生プロジェクト」と銘する工事が行われた。老朽化した社殿全体を建て替え、当神社境内に隣接していた幼稚園(私立赤城幼稚園)は少子化などの理由により閉園。


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