赤城神社(あかぎじんじゃ)は、「赤城」を社名とする神社。群馬県の赤城山を祀る神社である。目次 関東平野北西縁に立つ赤城山を神体山として祀る神社である。山頂にあるカルデラ湖の大沼・小沼や、火口丘の地蔵岳、そして赤城山そのものに対する山岳信仰に由来する。 全国には関東地方を中心にして約300社の赤城神社があるといわれ、その中でも特に山腹の三夜沢赤城神社または山頂の大洞赤城神社が総本宮とされる。
1 概要
2 名神大社「赤城神社」
3 歴史
3.1 創祀
3.2 概史
3.2.1 平安時代
3.2.2 鎌倉時代から戦国時代
3.2.3 江戸時代
3.2.4 明治以後
3.3 神階
4 登場作品
4.1 金槐和歌集
4.2 神道集
5 一覧
5.1 本社
5.2 群馬県
5.3 その他
5.3.1 東北地方
5.3.2 関東地方
5.3.3 中部地方
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
7 参考文献
8 外部リンク
概要
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延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』には、名神大社として「上野国勢多郡 赤城神社」と記載があり、以下の3社が論社とされている。
赤城神社(三夜沢赤城神社) (群馬県前橋市三夜沢町、位置) - 旧県社。
赤城神社(大洞赤城神社) (群馬県前橋市富士見町赤城山、位置) - 旧郷社。
二宮赤城神社 (群馬県前橋市二之宮町、位置) - 旧郷社。
3社の経緯や比定を巡る議論については、下記歴史節や各社項目を参照。
二宮赤城神社
歴史
創祀 櫃石(三夜沢赤城神社)
磐座を中心とした祭祀遺跡。 大洞赤城神社遠景
湖からは祭祀に使われた鏡が発見された。
信仰の成立や各社の創建は、いずれも明らかではない。山名自体も『万葉集』には「久路保の嶺ろ」と記されており[1]、8世紀頃までは「くろほのねろ」と称されていた[2]。赤城南麓を流れる粕川の水源としての信仰(水源地・小沼への信仰)と、最高峰の黒檜山などへの雷神信仰、および赤城山そのものへの山岳信仰が集まって成立したとみられている[3]。
また、当地の豪族・上毛野氏が創始したとする説もあり[4]、各社で社伝として上毛野氏との関係性が伝えられている。