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赤坂5丁目ミニマラソン(あかさか5ちょうめミニマラソン)は、TBSテレビ系のテレビ番組「オールスター感謝祭」において行われるコーナー。 1993年春にスタートした[1]。最初はピリオドのボーナスクイズの1つにすぎなかった。そこで走ったのは、芸能プロダクション対抗マネージャー4人の戦いだった。そこで司会の島田紳助(当時)が台本には無かった「タレントさんで走りたい方いますか?」の言葉から今の名物コーナーになった。 コーナー名の「赤坂5丁目」は、現TBS放送センター(及び現TBSホールディングス総本社)の所在地であることに由来。 通常他の企画ではアンケートを行った後、希望者から出場者を選考するが、この企画はアンケートで「走りたい」と押した人全員が参加できる企画である[注 1][1]。難関はTBS放送センター正面玄関横からAスタジオに入れる大道具搬入口へ続く、傾斜のきつい二段坂(心臓破りの坂)となっていて、高低差は12mある。 2005年春からは、地元の商店街やTBSなどが主催する「赤坂春まつり・赤坂秋まつり」のイベントの一つとして位置づけられ、当日は一ツ木通り自体が終日歩行者天国になることから大がかりな交通規制が可能となり、2005年秋からは放送当日の日中には一般からの参加者を募り、ほぼ同じコース(TBS社屋内を除くエリア)を使って市民マラソン大会(赤坂チャリティマラソン)が開催されるなど[注 2]、赤坂5丁目ミニマラソンは地域ぐるみの一大イベントとなっている。その一方で、近年は上位入賞者が招待選手や過去の優勝者が中心となっている。 開始当初は、ピリオドが始まる前にボーナスクイズで順位を予想した後にランナーがスタートし、帰ってくるまでにスタジオではチャンピオンを決めるため、ランナーが走っている姿はほとんどスタート・ゴールぐらいしか無かった。旧社屋時代は当時の収録スタジオであるGスタジオまでのコースの途中に一人ほどしか通れない廊下や通常の階段、螺旋階段もあった(Gスタジオの場所が旧社屋の1階ではなかったため)。スタッフ十数名が発光棒を持って警備・コース指示をするくらいで、マイクやカメラを持ったスタッフが並走していた。回を重ねることにカメラの台数・スタッフの数が増加していった。これらの背景からマラソン中継には熟練性がさらに必要となり、2006年以降はJNN各局から技術スタッフを招集し、国際マラソン大会並みの体制で放送されている[1]。 1993年秋までは芸能人のマネージャーのレースも行われており、太ったマネージャーには「エレベーター使用可」などの特別ルールが与えられていた。 1996年まではクイズシステムが4択しか対応していないという都合上、キーパットアンケートで走りたい人の中から4人選ぶ形をとっていたが、1997年春の大会から「走りたい」を押した人は原則全員参加することになった[1](原則というのは、例えば年齢的に走るのが難しい人などが間違えて押した場合には、その人から押し間違えた旨の申告があれば除外される[注 3]。そのため、出演者全員に参加する可能性があるため、明らかにマラソンに不向き・健康面やドラマ収録中などの理由でマラソンNGと思われる参加者を含め、毎回出演者全員分のゼッケンが用意される[注 4])。2010年代から2022年までは参加アンケートの実施がなかった事から、この時は事前に出場する人を募っていると思われる。2023年春では、事前にマラソンのみに参加が決まっていた出演者に加え、およそ10年ぶりに回答者からの参加アンケートが復活した。 1998年春は、「春のデビュー戦」と題し、ミニマラソン未経験者のみ参加権を与えるという新たな試みがなされた。男女以外でのハンデを設けなかったため、上位をアスリートが占める結果となった。同年秋は理由は不明だがミニマラソンを開催していない[注 5]。なおこの年は、常連選手(谷川、東など)は新企画「赤坂5丁目ミニバイアスロン」(後述)に参加した。 2007年秋の大会では「オールスター200人知名度調査」で名前を答えてもらえなかった芸能人がミニマラソンに強制的に参加[注 6]となり、2008年春では「スターではない」ということで番組スタッフとして沿道の給水所および警備(これは逆に混乱するので中止)要員として強制参加となった。 開始当初は1周2.5kmのコースを走っていたが、現在の社屋になってから1996年秋までは2周、1997年春から2008年秋までは3周(1998年春と1999年春は2周)、2009年春からは4周(2009年秋と2010年春は3周)で行われる。また、当初はスタジオ内からの発走であったが、1997年春から参加希望者全員出走に伴い、現在のスタート地点にあるゲートからの発走となった。開始当初から原則としてTBS敷地外の公道上は歩道を走る事が原則となっていたが、2004年春から警視庁赤坂警察署の協力により公道が交通規制され車道を走ることが可能になった。2005年秋からはTBS赤坂5丁目再開発計画(赤坂サカスプロジェクト)の工事に伴い、コース上に通行止め箇所が多く出てきたことから、TBS放送センター移転、ジミー大西狙撃事件(後述)以来3回目となる大がかりなコース変更が行われた。その後、2008年3月20日の赤坂サカスのグランドオープン(これにより同敷地内の工事に伴う交通規制がすべて解除された)をはさんで2009年春まで、ほぼ毎回コースが変更されている。2009年春から現在まで、サカス坂(赤坂サカス敷地内の、赤坂ACTシアター・赤坂BLITZと赤坂Bizタワーの間の通り)を通り、公道(一ツ木通りなど)には一切出ないコースに固定されている。また、同地域が新しい観光名所となった事からレース中は警察およびTBSの警備員・スタッフ、計数百名によりコース全域に厳重な警備態勢がしかれる様になった。 2009年春、谷川真理指導の下、芸能人ランナー強化プロジェクトが実施された。参加者は藤森慎吾、本山華子、ギャル曽根、高橋光臣、ノッチの5人。一般枠で出場し(ただし高橋だけハンデつき)この中から誰かしら表彰台に立つ(3位以内に入る)という目標で行われ、ノッチが準優勝、その後の活躍のきっかけとなった。 2010年春のミニマラソンは、TBSラジオにて放送された『夜もキラ☆キラ?TBSラジオオールスター感謝祭』の中でも同時放送した。この番組で小島慶子が語ったところによると、TBSは新社屋建設を含む地域の再開発の際、赤坂5丁目ミニマラソンを実施することを想定して設計したという。 2019年春のミニマラソンはコーナー史上初めて山分けクイズの対象にならなかった。また、直前まで「ぬるぬるトレジャーハンター」を行っていた関係上4週目の最後以外は大道具通路が折り返しポイントになっていた。休憩タイムが廃止されマラソンに参加してない人はこの間に休憩を取り1位のランナーをスタジオで迎える前には全員戻っていた[注 7]。なお、2019年秋は従来の形式に戻されている。 2020年秋では、ギャラリーの密集による新型コロナウイルス感染拡大を避けるため、赤坂ではなく、緑山スタジオ・シティで開催され、コーナータイトルも「緑山2100番地ミニマラソン」となった[2]。また、この回から山分けクイズそのものが廃止されているが、優勝者を当てるクイズの対象にはなっている。 2021年春 - 2022年秋では、開催地を東京ドイツ村に移して行われ、タイトルも「東京ドイツ村ミニマラソン」となっている[3][4]。東京ドイツ村では、全長700mのアップダウンだらけで平坦がほぼ無いコースを5周(合計3.5km)走ることになる。
概要
経緯