赤き血のイレブン
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赤き血のイレブン
ジャンル
サッカー漫画
漫画
原作・原案など梶原一騎
作画園田光慶、深大路昇介
出版社少年画報社
掲載誌週刊少年キング
発表号1970年2号 - 1971年21号
アニメ
原作梶原一騎
監督山田健(初期)[1]
岡迫亘弘(中期 - 後期)[1]
アニメーション制作東京テレビ動画
放送局日本テレビ
放送期間1970年4月13日 - 1971年4月5日
話数全52話
テンプレート - ノート
プロジェクト漫画アニメ
ポータル漫画アニメ

『赤き血のイレブン』(あかきちのイレブン)は、原作:梶原一騎・作画:園田光慶・深大路昇介によるサッカーを題材とした日本漫画作品、およびそれを原作とするテレビアニメ
概要

高校サッカー界の強豪・浦和市立南高等学校(現・さいたま市立浦和南高等学校)をモデルとしたサッカー漫画、青春劇画[1][2]1969年に創部6年目の同校サッカー部が高校総体国体高校選手権の三冠を達成した逸話を基に創作された[3]

1960年代後半、読売新聞グループ朝日新聞が主催する夏の高校野球に対抗して、サッカーを全面的にバックアップしようとしていた[4]。本作品は『週刊少年キング』編集長の小林照雄が読売グループの計画を偶然知り、日本テレビ系列での将来的なアニメ化やドラマ化を当て込んで企画され[4]、原作には多くのスポ根作品を手掛けヒットメーカーとなっていた梶原一騎、作画には戦記物『あかつき戦闘隊』などを手掛けた園田光慶が起用された[4]。園田は当時、漫画家としての才能を高く評価されていたが、その一方で失踪癖などの不安定さを抱えることでも知られており、博奕的な起用でもあった[4]

漫画原作は『週刊少年キング』(少年画報社)にて、1970年2号から1971年21号まで連載された。やがて小林の狙い通りにアニメ化が実現し、東京テレビ動画の製作により1970年(昭和45年)4月13日から1971年(昭和46年)4月5日まで日本テレビ系で全52話が放送された[1]。その一方で当初の懸念通り、作画の園田がたびたび失踪騒動を引き起こしていた[4]。やがて園田は編集部の信用を失って作画を降板し、深大路昇介という知名度の低い漫画家に引き継がれた末に連載を終えた[4]

本作は当時のサッカー少年の間で人気を獲得し、サッカーブームの一翼を担った[4]。こうした点から、1980年代に『キャプテン翼』が登場する以前に影響を与えた作品と評されている[5]。その一方で常識からは想像し得ない奇想天外なシュートやプレーが描かれたという指摘や[6][7]、精神論の比重が大きく、ルール解説に重点が置かれなかったという指摘もある[8]
ストーリー

東京下町育ちの玉井真吾は、埼玉県南部の新興住宅地に設立された新生高校に進学し、同校の体育教師で元サッカー日本代表の松木天平と出会う。松木は生徒たちにサッカー部への参加を呼びかけるが、玉井は興味を示さずボスを名乗る大平洋介との喧嘩に明け暮れる。それを止めようとせず遠巻きに見つめる松木の姿を見て2年生の明日香涼子は真意を問うが、松木は「二人の根性を試していたのだが、わがサッカー部には不要だ」と突き放す。これに玉井と大平は反感を抱き、涼子の立会いの下で松木に闘いを挑むことを宣言する。

松木はサッカー部を設立し部員たちに基礎技術を指導するが、玉井と大平は第2サッカー部を設立し、自由気ままなプレーに興じる。第2サッカー部は、基礎練習の繰り返しに不満をため込むサッカー部の面々を挑発し、松木の許可を得ずに試合を挑み16-0と大勝する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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