この項目では、中森明菜の楽曲について説明しています。1973年の映画については「赤い鳥逃げた?」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}中森明菜 > 中森明菜の作品 > 赤い鳥逃げた
「赤い鳥逃げた」
中森明菜 の シングル
B面BABYLON
リリース
1985年5月1日
1988年6月25日(再発)
2008年11月12日(再発)
規格
12inch
8cmCD
デジタル・ダウンロード
ジャンルラテン[1]
時間5分7秒[2]
レーベルワーナー・パイオニア / リプリーズ・レコード
作詞康珍化
作曲松岡直也
プロデュース島田雄三[3]
チャート最高順位
1位(オリコン)[4]
1985年度年間20位(オリコン)[4]
6位(ザ・ベストテン)[5]
中森明菜 シングル 年表
「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」
(1985年)「赤い鳥逃げた」
(1985年)「SAND BEIGE -砂漠へ-」
(1985年)
テンプレートを表示
「赤い鳥逃げた」(あかいとりにげた)は、日本の歌手である中森明菜の楽曲。この楽曲は彼女の12インチシングルとして、1985年5月1日にワーナー・パイオニアのリプリーズ・レコードレーベルよりリリースされた (12inch: L-3601)。 「赤い鳥逃げた」は、1985年5月1日に12インチシングル (L-3601)で発売された[3][6]。ディスクジャケットとレーベルデザインの異なる2種類でリリースされた[3][7]。ミニ・アルバム『MY BEST THANKS』発売日の同年12月21日にはセカンドスリーブジャケット仕様でジャケット写真とピクチャーレーベルを変更して再販売したが、ジャケット印字の発売日も1985年5月1日で変更無しであった。この楽曲は、康珍化が作詞し、松岡直也が作曲と編曲を手掛けた「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」の異名同曲異歌詞曲である[3][7]。本曲は、「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」と異なる歌詞とタイトル名を康が手掛けたのに加え、松岡によってラテン・ロング・ヴァージョンにアレンジされた[3][7]。プロデュースは島田雄三が担当した[3]。元々は、松岡のメロディに対して最初に完成していた詞は「赤い鳥逃げた」だったが、内省的な詞がシングル曲としてはインパクトに欠けるということで新たに書き直した詞が、「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」であった[7]。このままボツになろうとしていた時に発売当時ブームだった12インチシングルとリミックスをリリースしようという話となり、本曲の詞を採用したという[7][8]。本作「赤い鳥逃げた」と同時にミュージック・ビデオ『はじめまして 中森明菜』も発売された[9][10]。 12インチシングル盤「赤い鳥逃げた」のB面として発表された「BABYLON」は、1985年4月3日発売のスタジオ・アルバム『BITTER AND SWEET』からのシングルカットで、このアルバム収録の「BABYLON」をリミックス・ロング・ヴァージョンに編曲した楽曲である[3][7][11]。スタジオ・アルバム『BITTER AND SWEET』収録の「BABYLON」は、SANDIIが作詞し、久保田真箏が作曲を手掛け、井上鑑により編曲されたが、本作B面収録のリミックス・ロング・ヴァージョンのアレンジでは井上とともに作曲した久保田も編曲を手掛けた[11][3][6]。 この楽曲は、オリコン週間シングルチャートでは1985年5月6日付で初登場12位を記録後、翌週の1985年5月13日付で最高順位1位を記録した[8]。同チャートの100位以内においては、計14週に渡ってランクインしている[8]。1985年度のオリコン年間シングルチャートでは、20位を記録した[8]。TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』では1985年6月6日に初登場後、1985年6月13日と1985年6月20日の2週連続で最高順位6位を記録し、通算4週に渡ってトップテン入りした[12]。 「赤い鳥逃げた」は、TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』にランクインされたが、本曲はこの番組では披露されなかった[12][13]。この楽曲とともに「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」が同時ランクインした際には「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」のみを歌唱した[13]。1985年6月6日の同番組では、この楽曲はレコードのためだけにある楽曲であるとして、テレビ番組での披露の予定はないと説明されたが[13]、NHKの『レッツゴーヤング』にて「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」を含むメドレー中で一度歌唱したことがある[14]。
背景
チャート成績
ライブ・パフォーマンス
Size:77 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef