赤いウィーン(ドイツ語:Rotes Wien)とは、オーストリア社会民主党がウィーン市議会で初めて与党となり、民主的に統治を行った、1918年から1934年までの同市のニックネームである。 第一次世界大戦がオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊で幕を閉じた後の1918年11月12日、第一共和国が成立。翌年5月4日には、初の普通選挙による市議会議員選挙が行われ、社会民主党が絶対多数を獲得し、ヤーコプ・ロイマン
第一次世界大戦後の社会状況
当時のウィーンは、大戦中にロシア軍が一部を占領していたガリツィア(現在のウクライナ西部)からの難民の他、大戦末期になると、帝国軍の元兵士が一時的ではあれ、市内に定住していた。その多くが戦時債券を購入していた中産階級も、大戦終了に伴い紙屑同然となったため、ハイパーインフレーションも相俟って貧困層に転落。また、数世紀にわたり市内に食料を供給していた近隣地域の独立に伴い、食料不足が表面化した。住宅難も深刻で、結核やスペイン風邪、梅毒が一気に蔓延することとなった。 第一共和国はカール・レンナー保革連合政権で幕を開けたが、同政権は共和国成立からたった一週間後に、8時間労働制を導入。その後、雇用保険制度や「労働評議会」と呼ばれる労働者による公的な合議機関
一般施策
だが、1919年の選挙で社会民主党が絶対多数を得たウィーンでは、同党による統治が続いた。同党はウィーンを社会民主主義政治の輝ける例とすることを目標に掲げており、実際に当時の施策はヨーロッパ全体からしても際立ったものであった。国内の保守派はこうした政治風土を嫌う傾向があったものの、ウィーンにおける社会民主党の成功に対し、当面はなす術が無かった。ジョン・ガンサーもこの時期の市政について、「ウィーンでは社会主義者が注目に値する統治を行っており、世界で最も成功した自治体にしたのではないか。(中略)ウィーンの社会主義者による功績は、戦後の欧州各国で最も活力に満ち溢れた社会主義運動であった」[1]と述べている。 帝国政府は1917年に借地人保護法を可決、ウィーンに直接適用していた[2]。同法はハイパーインフレーションにもかかわらず、アパートの賃貸料を1914年の水準に据え置くものであったため、新規の住宅計画が困難となった。それ故戦後、手頃な価格のマンションに対する需要が極めて高まり、公共住宅
公共住宅
1919年には、既存の住宅の効率性を高めるべく、連邦議会が住宅資格法を可決。ここにおいて、土地建物に対する民需の低さと安価な建設費が、都市行政による広範な公共住宅整備にとって、好都合であることが証明された。1925年(通貨が価値の下落したクローネからシリングに取って代わった年でもある)から1934年にかけて、カール・マルクス・ホーフなど6万以上もの大規模な近代的アパート群が、緑地の周辺に新規に建設された。
アパート建設費の4割は住宅税、残りは奢侈税や政府の出資からとなっているため、これらアパートの賃貸料を低く抑えられた。例えば、公共住宅の賃貸料は勤労者世帯の収入の4%程度に過ぎないが、民間となると3割にまで上昇。なお、病気にかかったり失業すれば、賃貸料の支払いは猶予される。 子育て世帯には、「新聞に包まれる子ども」が出ないよう、子ども向けの「衣服手当」が支給された他、働く女性の職場復帰が成るよう、幼稚園なども多数開園。また、医療費が無料化されたり、公共の浴場やスポーツ施設も整備された。このような福祉・医療サービスは、当時市議会議員を務めていたユリウス・タンドラー
福祉・医療サービス
社会政策に係る自治体の出費は、戦前に比して3倍となった。これが奏功してか、新生児の死亡率は国内平均を下回り、結核の感染率に至っては半分程度にまで下落。ガスや電気、ゴミ処理が軒並み自治体により運営されたことも、健康状態の改善の一助となった。 連邦憲法
財政
自治体の投資活動により、ウィーンの失業率は国内のみなならず、ドイツと比しても低いものであった。投資は皆借款ではなく税金で賄われたため、債権者からは自由であり、債券に利子を付けて支払う必要も生じなかった。ただし、オーストロファシズムが席巻した1930年代に入ると、連邦政府がウィーンを財政面で締め上げたため、これらのサービスは切り捨てられていった。
脚注^ John Gunther: Inside Europe. Harper & Brothers, New York 1933, 7th edition 1940, p. 379
^ Reichsgesetzblatt fur die im Reichsrat vertretenen Konigreiche und Lander No. 34 and 36/1917, see ⇒Austrian National Library, historical laws online
^ 南塚信吾編『新版 世界各国史 19 ドナウ・ヨーロッパ史』山川出版社、1999年、p.291
関連項目
革新自治体
ウィーンの歴史
オーストリア社会民主党
参考文献
⇒City of Vienna: From the Social Democratic model of "Red Vienna" to the "Standestaat"(1918-1938)
⇒Virtual Vienna: Red Vienna: A Workers' Paradise.
⇒Encyclopedia of Vienna's Social Democratic Party, in German
Eve Blau: The Architecture of Red Vienna. 1919-1934., The MIT Press, 1999
Helmut Gruber: Red Vienna. Experiment in Working Class Culture, 1919-1934., Oxford University Press, 1991
Sheldon Gardner: Red Vienna and the Golden Age of Psychology, 1918-1938 , Praeger Publishers, 1992