賢島
賢島の空中写真。2015年10月29日撮影。
島の中央を占めるのが近鉄志摩線賢島駅。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
賢島(かしこじま)は、三重県志摩市の英虞湾内にある有人島。奥志摩観光の拠点である。2016年(平成28年)1月末現在の人口は98人[1]。
概要賢島駅
英虞湾に浮かぶ島で最大の面積があり、本州との間は10m未満である。近鉄志摩線が本州から島内に入り込み、島中央部に終点賢島駅がある。
島内には志摩観光ホテル・賢島宝生苑などのレジャー施設、賢島港などがある[2]。このほか、大手企業の保養施設も島内には点在している。 賢島の海岸線沿い全域と賢島駅南口の観光商業地一帯は、津波浸水想定区域に含まれており、ハザードマップでは津波襲来時の避難目標地点(一時集合場所)として、賢島駅北口から志摩マリンランドへ向かう道路と三重県道17号浜島阿児線の交差点付近(標高18 m)、賢島スポーツガーデン(標高14 m)を指定している[2]。 江戸時代の指出帳には「かしこ山」とある[4]。当時の農民が干潮の時、本州から徒歩(古語では「かち」と言った)で島に渡れたため「かちこえ島」と呼ばれたものが、訛って「かしこ山」→「かしこ島」となったとされる[4]。 現在の漢字表記「賢島」に改められたのは、鉄道開通の時である[5]。「かしこ島」というかな書きでは関係者が困るという理由から漢字が充てられたのであった[6]。 賢島に人が住み始めたのは讃岐岩製の石鏃(せきぞく、矢じり)が発見されたことから、縄文時代と考えられている[3]。島内からは、古代の製塩跡も発見されている[3]。 しかし、後に無人島となり、1929年(昭和4年)に志摩電気鉄道(現在の近鉄志摩線)が開通するまで、島内は松林と水田が見られる程度だった[4]。島内には主に旅客を扱う賢島駅と貨物専用駅の真珠港駅がおかれた[7]。鉄道開通と共に開発が行われたが、当時は宿が1軒と商店が数軒だけという状態だった[8]。鉄道開通により、賢島は真珠養殖資材の発散基地としての性格を持った[8]。 1946年(昭和21年)の伊勢志摩国立公園指定[9]、1951年(昭和26年)の志摩観光ホテルの開業を期に、近鉄による資本を中心として観光地化が進んだ[8]。特に1964年(昭和39年)6月、近鉄は社内に「伊勢志摩開発委員会」を設置し「伊勢志摩総合開発計画」を策定、鳥羽地区と志摩地区での開発を企画し、特に志摩を重視した[10]。
面積:約0.6814km2(『日本島嶼一覧』による)[3]
周囲:約7.3キロメートル
津波の想定
島名の由来
歴史
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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