資金洗浄(しきんせんじょう、英: money laundering、マネー・ロンダリング[注釈 1])とは、規制薬物取引、盗品などの贓物(ぞうぶつ)取引、身代金、詐欺、違法賭博、脱税、粉飾決算、裏金、偽札などの犯罪行為によって得た現金(汚い資金)から、出所を消し(汚れを洗い流し)、正当な手段で得た資金と見せかける(綺麗に見せかける)ことである。捜査機関や司法機関による口座凍結、差押、摘発、徴税等を逃れる目的で行う。犯罪資金を資金洗浄せずに使用した事が切っ掛けで、犯罪者が検挙されることがある[5]。
アル・カポネやマイヤー・ランスキーが(三段階の)資金洗浄を草分けた[6]。段階は順に、預入、分別、統合である[7]。分別は電子送金をふくむ[注釈 2]。2009年に国連薬物犯罪事務所が報告した数値によると、犯罪収益は全世界国内総生産の3.6%を占め、2.7%(1.6兆USドル)が資金洗浄されている[9]。世界金融危機で流動資産を必要とした金融機関に、犯罪収益が資金洗浄のため供給された[10]。 資金洗浄では、金融機関の架空口座等を利用し転々と送金を繰り返したり、債券や株式を購入したり、古典的な方法としては大口寄付をしたり、海外送金し架空ビジネスに利益計上させて国内に戻したり、合法的な財産と混和させるなどの方法が採られる[5][1]。銀行口座または投資信託で分散投資をするのが預入である。それをたとえばオフショア市場で繰り延べすれば分別となる。架空事業への計上や合法資産との混和については統合に該当する。 預入・分別・統合は、資金洗浄の典型的手段である。実施が左から順に行われるとする文献は存在するが、通常は別々にあるいは同時に進める。預入とは、犯罪行為から得られた一定の現金を、金融システムあるいは合法的な商業サービスへと物理的に預け入れることを指す。分別は、現金の出所を、幾つかの金融機関との取引を通すことによって、犯罪活動という大元から分離することを指す。当然に、取引は預入された口座で実施される。統合は、違法行為によって得られた資金と合法的に得られた資金を統合し、所有権について合法的な根拠を持たせることを指す。[7] なお、資金洗浄は必ずしも金融機関を利用しない[11]。他にも送金の手段と宛ては多いからである[注釈 3]。ネット決済サービスを使い、さらに合法的な商取引を媒介することによって送金を達成する計画は「托卵法」と呼ばれている[12][13][注釈 4]。 資金洗浄の実例を通史概観した資料は入手困難である[注釈 5]。ナチスドイツは第二次世界大戦の間に占領地で金塊を略奪した(Nazi Gold 規制の黎明期である1980年代の摘発例は、しばしば実行者の個人名で記録が残っている。これを防げなかった金融機関は一部のケースで名指しをされているが、事件記録では特に追及されていない。そのかわり、たとえばスイス議会で問題となり、法律を整備する根拠となった。フェルディナンド・マルコス元フィリピン大統領は、資金洗浄にスイス銀行を利用して世界史に名前を刻んだ[16]。一方、アメリカ両大陸ではラテンアメリカの債務危機で巨額の資産が目まぐるしく移動していた。このような舞台でイサーク・カッタン(Isaac Kattan)などが南米の麻薬マネーを「洗濯」した[17][18]。オーストラリアのニューガン・ハンド・バンク(Nugan Hand Bank
預入・分別・統合
注目された実例
例外として金融機関が焦点化したのは、中東のオイルマネーが支配するカプコン(Capcom)とイギリスのBCCI(国際商業信用銀行)が麻薬マネーを資金洗浄した容疑である[17][21][22]。証券化の急進地であるシカゴと、ビッグバンを推進するシティ・オブ・ロンドンの不名誉な接点が浮き出た。BCCIは1990年に1130万ポンドの制裁を受けたが、BCCIに対する調査は翌1991年になってイングランド銀行の命令でプライスウォーターハウスが行い、数年間にわたる広範な金融犯罪の証拠を報告した[23]。BCCIは、1991年に倒産したが、BCCIが行った200億ドルにのぼる資金洗浄の総額は、2018年にダンスケ銀行の2000億ユーロに及ぶ資金洗浄疑惑が浮上するまで最高額となっていた[24]。
1990年代には資金洗浄の実行者と金融機関の関係が不可分とみられるような事件が起きた。まず、リッグス銀行(旧第二合衆国銀行)はチリのアウグスト・ピノチェトを得意先としていたが、その関係を隠すために不動産取引を利用していたので、銀行秘書法により制裁金を課された[17][25]。2005年1月に同行は1600万ドルを命令されている[26]。スペインでも800万ドルの和解金を払うことになった。バンダル・ビン・スルターンがBAEシステムズから受けた賄賂を同行で資金洗浄したことなども追及された。そして、バンク・オブ・ニューヨークはエドモンド・サフラのリパブリック銀行が違法取引をしている容疑で1999年に捜査をうけ、資金洗浄の痕跡を発見された[注釈 7]。事件は合衆国上院の委員会(Permanent Subcommittee on Investigations)で305ページという分厚い報告書にまとめられた(Correspondent Banking: A Gateway to Money Laundering)[注釈 8]。
1990年代には移民による送金が資金洗浄の手段に使われ、バラカートが規制の果てに営業を停止した[30]。
国際規制年表
1986年10月27日 - アメリカ合衆国連邦法としてマネロン規制法(Money Laundering Control Act