株式会社資生堂パーラー
Shiseido Parlour Co., Ltd.
東京銀座資生堂ビルの本店
種類株式会社
本社所在地 日本
〒104-0061
東京都中央区銀座八丁目8番3号
設立1941年(1902年創業)
業種小売業
法人番号8010001046307
事業内容レストラン・カフェの運営
洋菓子の製造・販売
代表者代表取締役社長 石亀 佳幸
資本金1億円
純利益▲2200万円
(2023年12月期)[1]
総資産68億8900万円
(2023年12月期)[1]
従業員数560名
(2021年12月31日現在)
主要株主資生堂
外部リンクhttps://parlour.shiseido.co.jp/index.html
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株式会社資生堂パーラー(しせいどうパーラー、英語: Shiseido Parlour Co.,Ltd.)は、資生堂の子会社で洋食・喫茶店の運営や洋菓子の販売を行う企業で、そのチェーンの名称。本社は東京都中央区にある。
概要花椿ビスケット
「資生堂パーラー」の名称での直営喫茶店の運営、別ブランドでのフランス料理店・カフェの運営が有名。そのほか、主に全国の百貨店や高級スーパーに向けに洋菓子やレトルト食品の製造・卸売を行っており、その関係で埼玉県春日部市に直営の菓子工場を、東京都足立区に物流センターを持つほか、大阪市・福岡市に営業所を、高松市に出張所を置いている。 銀座本店(東京銀座資生堂ビル内、3Fサロン・ド・カフェ、4・5Fレストラン)ならびに以下の店舗、ほかに全国の百貨店の名店街にもショップを展開している。
歴史
1872年(明治5年) - 東京・出雲町(後の銀座)に日本で最初の民間洋風調剤薬局となる資生堂薬局が創業した[2]。
1902年(明治35年) - 東京・銀座の資生堂薬局内に開設された「資生堂ソーダファウンテン」が起源である[3]。これは、資生堂創業者の福原有信が、1900年(明治33年)の欧米視察からの帰国後に、アメリカのドラッグストアを模して設けたもので、当時の日本ではまだ珍しかったアイスクリームやソーダ水を供し、人気を博した。福原有信は、ソーダ水製造機はもとより、コップやストローにいたるまでアメリカから輸入し、本物志向に徹した[4]。
1923年(大正12年) - 関東大震災により全壊したため仮店舗での営業となる[2]。
1928年(昭和3年) - 「資生堂アイスクリームパーラー」と改称し、本格的な洋食レストランを新築開店した[注釈 1][2][3]。1931年(昭和6年)、3代目総料理長・高石^之助により今に続く看板メニュー「ミートクロケット」が考案される[4]。他の人気メニューには、チキンライス、カレーライス、ハヤシライス、オムライス、コンソメスープなどがあり、モボ・モガや新橋芸者衆、歌舞伎役者、作家など多くの文化人から贔屓にされた[6][4]。いわゆる昔からの上流階級を顧客に持ち、「成功率の高いお見合いの名所」としても知られている[4]。
2002年(平成14年) - 東京・銀座の資生堂薬局内に開設された「資生堂ソーダファウンテン」が作られてから100周年を迎えた[2]。
店舗
資生堂パーラー
自由が丘店(目黒区自由が丘)- quaranta19661F
ザ・ハラジュク(渋谷区神宮前)- WITH HARAJUKU8F
横浜高島屋店(横浜市西区南幸)- 高島屋横浜店6F
横浜そごう店(横浜市西区高島)- そごう横浜店2F
サロン・ド・カフェ ラゾーナ川崎店(川崎市幸区堀川町)- ラゾーナ川崎プラザ2F
名古屋店(名古屋市中村区名駅)- JRセントラルタワーズ12F
ル サロン ジャック・ボリー(新宿区新宿)- カフェ キュイジーヌ、伊勢丹新宿店本館4F
ロオジエ(L'OSIER)- フランス料理店 - 資生堂銀座ビル1F(銀座七丁目)
ファロ(FARO)- イタリアンレストラン、東京銀座資生堂ビル10F
ファロ スロータイム(FARO_slow time)- フード&ドリンク、東京銀座資生堂ビル11F
神椿(香川県仲多度郡琴平町)- 金毘羅宮御本宮の下にある特設店舗。運営は株式会社神椿が行う。
かつて存在した店舗
資生堂パーラー
旧札幌マルサ店(北海道札幌市中央区)札幌マルサ内
銀座松坂屋店(2009年2月閉店)
二子玉川店(世田谷区玉川)- 玉川島屋S・C南館8F
サロン・ド・カフェ汐留店(港区東新橋)- 汐留タワー1F
8・8・3 S&Co.(埼玉県越谷市) - ミートボール料理専門店、レイクタウンアウトレット1F
ル・ビストロ資生堂(新宿区西新宿)- フレンチレストラン、京王百貨店新宿店8F
カフェ・セレ(Cafe Serre) - 松竹からの業務委託によるカフェ。銀座松竹スクエア2F
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 当時の名称には、商品として知名度が高かった「アイスクリーム」が入れられていた[5]。
出典^ a b 株式会社資生堂パーラー 第28期決算公告
^ a b c d 『資生堂パーラー』川上典李子解説、求龍堂、2002年11月。
^ a b スイーツ番長 『男のパフェ 首都圏版』 日本出版社、2010年、p.9.
^ a b c d 菊川武幸『東京・銀座 私の資生堂パーラー物語』. 講談社. (2002年5月)
^ “資生堂パーラーの歴史”. 資生堂パーラー公式サイト. 2023年9月19日閲覧。
^ 池波正太郎『散歩のとき 何か食べたくなって』. 新潮文庫. (1981年10月、改版2003年) 。初版は平凡社、1978年
関連項目
東京銀座資生堂ビル
資生堂
資生堂グローバルイノベーションセンター
カネボウ化粧品
外部リンク
資生堂
資生堂パーラー
建設時の資生堂パーラー3D映像 - 解説・藤森照信、Massachusetts Institute of Technology
典拠管理データベース
全般
VIAF
国立図書館
日本