資本経済
[Wikipedia|▼Menu]

この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2018年1月)

資本経済(capital economy)とは、経済世界とその社会機能を「資本」として捉えることで、商品経済に対比され、その関係が考証・検証される。

経済が、産業商品生産物を生産する産業経済・商品経済だけでなく、環境経済、文化経済、教育経済、スポーツ経済、ファッション経済、サービス経済、観光経済、都市経済、情報経済などと拡大し多様化している状態を、商品視座ではなく「資本」の視座から「資本経済capital economy」の実際と捉える。理論的には、「資本財の経済economy of capital goods」「資本の経済学capital economics」として一般に言われてきたが、物質的な「tangible economy(触知しうる経済)」だけでなく非物質的な「intangible economy(触知しえない経済)」の出現を含んだ経済総体を、経済資本だけでなく多様な資本概念から理論把捉されることが1970年代からなされた。そもそも資本なくしての経済は成立しようもないが、経済学を超えてその領域、対象が拡大されてきている。

資本の定義・意味は歴史とともに拡張されてきた。

アダム・スミスは「資本」を「自らの総収入を産出したいと望んでいる人間のストックの一部である」(『諸国民の富』)と定義した。この「ストック」とは、切り株や木の幹を意味する古英語から由来しているが、少なくとも1510年から農場の動産全てを指す言葉になっている[1]。土地の不動産から区別される動産が「資本」とされ、マルクスは資本財である「固定資本」と労働をインプットする賃金として支払われる「流動資本」とから、商品を生産・再生産し利潤を生み出す循環を分析した[2]。銀行の創設に伴って「金融資本」が貨幣資本にあてられた[3]。さらに、1960年代に、ゲーリー・ベッカーらが人間の労働や能力を「人的資本human capital」としたように[4]、物質的実体にとどまらない意味へと拡張されてきたが、教育資本として、知識資本knowledge capital、知的財における投資の知的資本intellectual capitalが経済ファクターとして重視された。1970年代からフランスの社会学者ピエール・ブルデューが「文化資本Cultural Capital」「象徴資本Symbolic Capital」「社会資本」「情報資本」「言語資本」「国家資本」などと資本概念を非物質的なものにまで拡大し[5]、他方、公的な財を「社会資本」とする傾向も生み出された[6]

今では、経済的に有効なワークが遂行できるよう個人の力を強化する全てを「資本」と言うようになっている。石や弓は狩猟のための資本であり、道路は都市住民のための資本である、というように。 日本語では「からだが資本だ」というように。つまり、「資本」は生産機能さらには生存機能におけるインプットであり、かつ個人、諸機関において形成されるアウトプットでもある。さらに、売れないもの、触知し得ないサービスも資本とされてきている。

こうした総体をなす経済が「資本経済」であるが、経済学を超えて、資本概念を巡っての定義の違いや論理の違いが多々考察されている。
目次

1 資本主義と資本経済

2 経済人類学の貢献と言語学からの寄与

3 人的資本と「生産者の生産」

4 文化経済と環境経済と資本経済

5 商品経済と資本経済の違い

6 資本経済と文化資本

7 様々な資本概念

8 資本経済をめぐるキイ概念の対比

8.1 場所と社会

8.2 パブリックなものとソーシャルなもの

8.3 プライベートと私的所有と領有

8.4 <もの>と物

8.5 互酬性と対抗贈与

8.6 日本語と思考技術:述語制言語と主語制言語


9 脚注

10 関連文献

11 関連項目

12 外部リンク

資本主義と資本経済

日本では、大学教養でマルクス主義が暗黙知的に流布しているため、「資本主義」が経済概念一般とされ、「資本経済」の本来のあり方が見失われているが、マルクスの資本論において「資本主義Kapitalismus/capitalism」なる用語は数カ所しかなく、「資本家的kapitalistisch/capitalistic」生産=蓄積様式が本来の概念である[7]。さらにジャック・ランシエールは、「マルクスが「資本?労働」関係を、資本論において「資本家?労働者」の主体人格関係における搾取関係へ転じてしまった、概念空間は全く別物であると批判している[8]。資本主義=資本家=搾取支配という無意識の構図が、「資本家は悪だ」だけにとどまらずに「資本は悪だ」とされる認識一般をまきおこしている[9]。資本主義論は、資本家的生産様式・資本家的社会構成体という歴史上の規定のもとで、「他人労働の領有に基づく他人労働の継続的無償領有」、つまり資本家による剰余価値の領有が交換無しに行われるのを「資本の本性」だとするゆえ[10]、搾取関係だとされてしまう。それは「資本ー労働」関係に限定された資本であるにすぎず、賃労働に相対した次元での「資本」を指している「労働と資本の分離」による「所有に基づく所有」のそれだけから見られたもので、それだけが「資本」ではない。資本は生産と流通を統一したり、また労働力能の形成そのものであったり、多様な動きと関係をなす。資本経済は、資本それ自体の多様な動きと関係を総体的に実際的に見る論理である。資本主義概念は社会主義と対立させられているイデオロギー概念でしかない[11]、また商品の価値関係は資本の関係ではない[12]。商品生産は社会主義国でもなされるのに、その商品産業経済が資本主義と同一視されてしまう。高度産業社会の発展と消費社会の興隆によって、経済そのもの再考が多様になされたが、カール・ポランニーの経済文明史からの市場経済社会の捉え直しから[13]経済人類学による経済活動の見直しは、商品経済だけが経済ではないことを実証していき[14]、ボードリヤールによる消費社会をふまえた記号的経済論[15]、ブルデューの文化資本と経済資本の逆立関係の社会学的考察、ミシェル・フーコーの新自由主義論[16]イヴァン・イリイチの産業文明批判??資本主義も社会主義も同じ産業的生産様式を追求しているだけだというイリイチは、学校化・医療化・輸送化といった産業的サービス制度が、商品関係に覆われて無限成長・無限消費の神話にとらわれていると指摘[17]??など、経済学外での多様な考察がなされて、かつ「ホモ・エコノミクス」自体の見直しがなされたことによって[18]、「資本主義」概念世界とは区別される「資本経済」のあり方が、さらに商品経済とは異なるという見解になっていく。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef