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貿易摩擦(ぼうえきまさつ)とは、特定国に対する輸出・輸入の急速な変化から起きる問題のこと。特定商品(たとえば、繊維や自動車)の競争力の差から、輸入が急増すると同時に国内の同産業に減産・失業・倒産などが起こることのほか、貿易相手国との経常収支の不均衡が国内経済に悪影響を及ぼすと信じられることから両国間に摩擦が生じることなどをいう。広義には、投資摩擦を含めて論じられることもある。
貿易摩擦の状態の継続により、貿易全体や投資、経済政策の進め方などにおいても、対立や構想などが生じる状態を「経済摩擦」と呼ぶ。
国際間の貿易問題を解決する国際協定に、関税貿易一般協定(GATT)がある。1995年1月にはGATTを発展させた形で、世界貿易機関(WTO)が発足した。GATTとWTOの違いは、モノだけでなくサービスや知的所有権などを対象とした貿易の自由化の推進と「貿易裁判所」的な立場をさらに強化した点にある。 貿易摩擦が起こるのは、輸入される製品が国産品と競合する場合である。国内にも生産者がいるため、輸入品の方が安いといったケースでは市場を奪われる国内生産者から反発の声が高まりやすい。しかし、なぜそれでも輸入するかといえば、最終的には消費者がより安い品を求めるからだといえる。 競合する外国製品の輸入は国内の生産者にとってはできれば禁止してほしいものであるが、国内の消費者から見ると、選択の幅が広がり、競争が促進されることでよりよい品をより安く買える可能性が高まるという利点もある。 このように交易の点で国際貿易の拡大は国内消費者に大きな利便(便益)をもたらすが、しばしば貿易摩擦が政治問題化するのは業態転換(農作物では作付転換)や就労者の職種転換が交易条件の変化に即応することが容易ではないためである。生産者や国内産業を保護する目的で緊急輸入制限が実施される場合がある。 貿易摩擦は、輸出量を自主的に抑えるか、または輸出から現地での直接生産に切り替えることで解消される[1]。 もっとも、多国籍企業にとってはウルグアイラウンドの関税引き下げや世界貿易機関による規制緩和の法が収穫であった。 第3回世界貿易機関閣僚会議の失敗から、駆け引きは二国間の自由貿易協定や経済連携協定により行われるようになった。 しばしば日米貿易摩擦を中心に論じられる。日本の経済成長と技術革新に裏打ちされた国際競争力の強化によって、アメリカに大量の日本製品が流入した。このため日米間では、以下の製品群において日米間の激しい貿易摩擦が起こった。アメリカ政府の強い要請を受けて日本政府は、自主規制などを日本側輸出企業に求めた。 摩擦のピークは1980年代であった。きっかけは1970年代アメリカのスタグフレーションである。合衆国は外需、もっといえば大衆に還元できるような利潤を必要としていた。そこで講じられる手段を日米貿易摩擦に限る理由はなく、摩擦は欧州諸共同体とも農産物・特許等をめぐり激しいものを展開した。資本の自由化が日米欧州三極間(特にフランス)で進行し、ミューチュアル・ファンドをばらまくメガバンクが世界展開した。
解説
貿易摩擦の歴史
1960年代後半の繊維製品
1970年代後半の鉄鋼製品
1980年代のカラーテレビやVTRをはじめとする電化製品・自動車・半導体
1990年代のハイテク摩擦(L.タイソンの原著の副題から[2])