中華民国 貴州省
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貴州省(きしゅうしょう)は、かつて中華民国に存在した省。現在の中華人民共和国貴州省に相当する。 東は湖南省、北は四川省、西は西康省及び雲南省に接し、南は広西省に接していた。 1911年(宣統3年)、辛亥革命が勃発すると11月4日に貴州軍政府が貴陽に成立、軍政府は都督、行政院、枢密院により構成され、都督が軍政及び行政長官の実務長官、枢密院が軍事計画の立案と民政指導を行う体制が採用された。1912年(民国元年)6月、民政長官として民政長を設置、1914年(民国3年)には民政長を巡按使、1916年7月には省長と改称された。 1927年(民国16年)2月21日、貴州省政務委員会が設置され武漢国民政府に帰属したが、4月21日に上海クーデターが発生すると、6月3日に南京国民政府により貴州省政府委員会が設置され両行政機構が一時期並存することとなった。1929年10月2日、国民政府は政務委員会を解体、新たに貴州省政府に改編している。1936年(民国25年)6月、行政督察区が施行されると全省に8区が設置されている。1949年(民国38年)11月15日、共産党勢力により省会の貴陽市が「解放」されると、中華民国は実効支配権を喪失している。 省会は当初貴陽県に設置されたが、1941年(民国30年)以降は貴陽市に移された。 民国建国当初は清代の道は廃止されたが、1913年(民国2年)4月、北京政府は黔中道、黔東道、黔西道の3道を設置、観察使が任命されたが、1914年6月には黔中道、鎮遠道、貴西道と改称され道尹が設置されている。1915年(民国4年)12月に始まった護国戦争期間中は貴州省は独立を宣言、道尹は刺史と改称されているが、戦争が終結した1916年(民国5年)8月には再び道尹と改称されている[1]。
管轄区域
行政沿革
省会
歴代省長1916年2月-
4劉顕世1916年7月-
5盧Z1921年1月-
6袁祖銘1922年4月-
7唐継堯1923年3月-
8袁祖銘1925年1月-
9王天培1925年2月-
10周西成1926年6月-
11毛光翔1929年10月-
12王家烈1932年3月-
13猶国才1932年12月-
14王家烈1933年4月-
15呉忠信1935年4月-
16顧祝同1936年8月-
17薛岳1937年11月-
18孫希文1937年9月-
19呉鼎昌1937年11月-
20楊森1945年1月-
21谷正倫1948年4月-
行政区画
道制
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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