貴ノ花健士
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「貴ノ花」はこの項目へ転送されています。貴ノ花利彰の次男で、一時期「貴ノ花」の四股名で相撲を取っていた力士については「貴乃花光司」をご覧ください。
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貴ノ花 利彰

基礎情報
四股名花田 満→貴ノ花 満→貴ノ花 利章→貴ノ花 利彰→貴ノ花 満郎→貴ノ花 健士→貴乃花 健士→貴ノ花 利彰
本名花田 満
愛称角界のプリンス[2]、土俵のアクロバット[3]
生年月日1950年2月19日
没年月日 (2005-05-30) 2005年5月30日(55歳没)
出身青森県弘前市(出生地は北海道室蘭市[4]
身長183cm
体重114kg
BMI34.04
所属部屋二子山部屋
得意技左四つ、寄り、吊り、上手投げ
成績
現在の番付引退
最高位東大関
生涯戦歴726勝490敗58休(95場所)
幕内戦歴578勝406敗58休(70場所)
優勝幕内最高優勝2回
十両優勝2回
序ノ口優勝1回
殊勲賞3回
敢闘賞2回
技能賞4回
データ
初土俵1965年5月場所[1]
入幕1968年11月場所[1]
引退1981年1月場所[1]
引退後年寄鳴戸(のちに藤島・二子山に名跡変更)
趣味プラモデル、彫刻(現役時代)[5]
備考
金星1個(北の富士1個)
従五位旭日小綬章受章
2013年8月25日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 - 2005年5月30日)は、北海道室蘭市出身(番付上は青森県)で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は花田 満(はなだ みつる)。最高位は東大関。身長183センチメートル (cm)、体重114キログラム (kg)、血液型はB型。得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱初代若乃花の弟である血統と、細身で均整に優れる体格と甘いマスクから「角界のプリンス」と称され[1]、大相撲と日本のスポーツで人気を博す。位階従五位、旭日小綬章受章。

1993年に次男の花田光司四股名を「貴花田」から「貴ノ花」へ改名後は「初代貴ノ花」や「先代貴ノ花」など称される。
来歴

貴ノ花こと花田満は1950年2月19日に、室蘭市で10人兄弟の末子として生まれた。兄は初代若乃花と若緑陸奥之丞三段目)、母は武ノ里武三又従姉、義兄に大豪久照、長男は第66代横綱で3代目若乃花の花田虎上、次男は第65代横綱の貴乃花光司、元配偶者は元女優の藤田憲子、孫に花田優一白河れいがいる。
土俵の鬼の末弟

満が誕生した時、長兄の勝治(若乃花)はすでに22歳で幕内力士となっており、巡業がてら帰省した際に実家で初めて満と対面した。最初は結婚した姉の子供だと思っていたが、両親から「お前の弟だ。」と聞かされて仰天し「いい加減にせえや。何人産んだら気がすむんだ」と半ば呆れた。1955年に父親が死去すると残された母や兄姉は兄である初代若乃花の下に引っ越しをすることになり、家族は東京に引っ越した。

杉並区立東田中学校在学中に水泳で名を上げ[6]オリンピック選手の候補になるほどだった。専門はバタフライで100mにて中学新記録を出し[7]1968年メキシコシティーオリンピック代表でメダルも期待された高田康雄とはライバル関係にあった。2人で交互に中学記録を更新したほどの実力で、将来のオリンピック候補選手だった。

しかしながら、兄でもある二子山(初代若乃花)の相撲部屋への入門を希望した。二子山は、もう一人の弟である陸奥之丞が失敗するのを目の当たりにしていたため猛反対した。二子山はあるテレビ番組で、『オリンピックドン・ショランダーの活躍を見て、弟には相撲よりも水泳のオリンピック選手になってもらいたかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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