貯金箱
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中山優馬の楽曲については「とことん Got It!」をご覧ください。

貯金箱(ちょきんばこ)は、硬貨貯金するためのブタの貯金箱
歴史

貯金箱の歴史は古く、前漢時代の中国やポンペイの遺跡などから発見されている[1][2][3]
中国石寨山古墓出土の七牛虎耳貯貝器(前漢初期)

中国の雲南省にある遺跡から出土した前漢時代の青銅製の貯貝器(ちょばいき)が最も古い例とされている[2][3]。この遺跡は?国の王族の墓である石寨山古墓(せきさいさんこぼ)で、ここから「七牛貯貝器」が出土している。貯貝器は当時、貨幣として使用されていた子安貝を貯める筒状の容器であった[2][3]
欧州

ヨーロッパの貯金箱のルーツは教会募金として貴金属の小片を入れてもらう献金箱だったといわれており、古代エジプト古代ギリシャエルサレムの遺跡で発見されている[2][3]

アテネやオリンピアにある遺跡からは紀元前300年頃の粘土製の貯金箱テサウロス(Thesauros)が発見されている[2][3]。このテサウロスは金庫を意味するTresorの語源になった[2][3]。一方、古代ローマの遺跡からは紀元前3世紀から4世紀頃の陶器製で洋梨型の貯金箱が多数発見されている[2][3]

中世になると金属精錬や加工の技術が発達し、鍵付き貯金箱が出現するとともに、18世紀まで鉄製のシリンダー形の貯金箱がよく用いられた[2][3]
日本

日本の貯金箱のルーツはよくわかっていない[1]。貯える、備えるという機能から縄文時代末期に現れた甕(かめ)や壺をルーツとする見方もある[2][3]

室町時代には伊賀で焼かれた「せんべい壺」が使用されたが、この壺は遺跡で銭が入って出土することが多く「銭瓶」(せんびょう)を入れるための壺の意味と考える説もある[2][3]

江戸時代には「千両箱」や商家で用いられた「両銭箱」「銭箱」と呼ばれる箱があった[2][3][4]。また、品物を買ったときに余ったお金を貯める「堪忍箱」や恵比寿大黒天をかたどった貯金箱もあった[1]。しかし、江戸時代の金融は武士や商人、一部の農民などに限られており、商家の銭箱のほかは庶民が用いた竹製の銭筒や銭壺といった入れ物があるにすぎなかった[2][3]

明治時代になると銀行制度や郵便貯金制度が始まり、一般の人々を対象とする貯金箱が普及し、蔵の形の貯金箱や今戸焼が発祥とされる宝珠型の「貯金玉」など陶器製の貯金箱が数多く作られるようになった[1][2][3][4]。陶芸品の産地では郷土人形や民芸品を題材にした貯金箱が作られるようになったほか、明治時代から大正時代末期にかけて恵比寿や大黒天だけでなく福助招き猫など縁起物を題材にした貯金箱も出現した[2][3][4]
名称

日本では貯金箱と呼ばれているが、かつては貯金玉や富久箱(ふくばこ)などの呼び方もあった[3]。英語ではMoney Box、Money Bank、Saving Bank、Penny Bankなどという[3]
素材と構造
素材

貯金箱の素材は土製、陶製、金属製、木製、竹製、紙製、皮製、ガラス製、石膏製、ゴム製、コルク製などがあるが、プラスチック製のものが多くなっている[2][3]。このほかにヤシの実などの果実や毛糸などでできた貯金箱もある[2][3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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