貨幣数量説
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貨幣数量説(かへいすうりょうせつ、: quantity theory of money)とは、社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定しているという経済学の仮説。物価の安定には貨幣流通量の監視・管理が重要であるとし、中央政府・通貨当局による通貨管理政策の重要な理論背景となっている。
歴史

貨幣数量説の萌芽として、14世紀エジプトの歴史家マクリーズィーの議論がある。当時のエジプトでは金と銀の不足により銅貨がインフレーションを起こし、経済危機が発生していた。マクリーズィーは銅貨の流通と物価に注目し、金銀を取引の中心にすえて貨幣政策を行うよう主張した[1]

ヨーロッパにおける貨幣数量説の議論は、文献の上ではサラマンカ学派ジャン・ボダンジョン・ローの真手形ドクトリン、リチャード・カンティロンのエッセイに端緒を発する。スペインでは新大陸からの金塊の略奪と流入は経済の活性化につながっていると報告され、またイギリスでは戦争や海戦の発生により、なんとはなく経済が刺激されていると観想がなされていた一方で、古典派の啓蒙思想においては貨幣の中立性が強調された。国富の増強は生産能力の増強や市場の整備などによるべきであり、貴金属の他国からの掠奪や金鉱の開発など貨幣そのものの増大を目的としても意味がないとされた。
地金論争

貨幣に対する経験と洞察が進み、単に貴金属の備蓄量ではない通貨の性質が明らかになるにつれ、古典的な貨幣中立説は批判を受ける。1800年代前半のイギリスにおける地金論争がこれである。当時、金塊は持ち運びや決済の便利のため、両替商に預託してその引換証(銀行券)を取引の代価にすることが一般化していた。また、その引換証を銀行に一定期間預託して別の借り手に貸し付けることで利息を受け取る仲介契約も一般化していた。このため両替商がカルテルを組み、特定の銀行の引換証を意図的に収集し、突然その全量の引換を要求して破綻させる行為が横行した。1765年までスコットランド法は緊急の場合の金塊への引換を制限していた。またフランス革命直後の1797年には英国政府は英仏戦争の激化を背景にイングランド銀行の一時的な兌換停止措置を取る。

この措置の解除をめぐって論争が起きた。解除賛成派は、兌換停止の継続は引換証を担保とした銀行券の乱造を産み際限のないインフレーションを生むとした(ヘンリー・ドーソン、ジョン・ホイットリー、デヴィッド・リカード)。一方反対派は、引換証は決済の時点で銀行で清算されて商取引で必要とされる規模以上には増加しないため、兌換停止を解除する必要はないとした(リチャード・トレンス、ボサンケ、ジェームズ・ミル)。1821年に兌換性は回復されたが、ナポレオン戦争終了後の1815年から30年にかけてイギリスでは一貫してデフレーションが進み、金塊と銀行券との兌換性は物価安定への影響に対して重大な疑問を投げかけた。
ピール銀行条例

1844年ピール銀行条例は、イングランド銀行以外の銀行券の発行を禁じ、なおかつイングランド銀行に発行紙幣量と同等の金塊の保有を義務付けた。これは完全な兌換性の要求として重金主義の再燃であり、英国内で流通する銀行券をイングランド銀行が貯蔵する金塊の量に一致させることを要求した。これを支持したのが通貨学派で、彼らはイングランド銀行の発券業務と銀行業務を分離し、発券量は金塊の貯蔵量に厳格に一致させるべきと主張した。同法に反対したのが銀行学派で、銀行券の兌換性を確保すれば需給の調整により銀行券の総量は調整されてインフレは発生しないため、銀行券の発行は厳格に金塊の貯蔵量に制約を受ける必要はないとした。結果的に1844年の銀行条例は三度にわたり停止され、銀行学派の権威が強化された。
物価の乱高下

イギリスでは1818年に100だった物価が1891年には45と継続的なデフレになやまされ、ドイツ・アメリカなども同様の傾向が見られた。この間、1848年カリフォルニア、1851年オーストラリアのビクトリア州、1886年南アフリカなど各地で金鉱が発見され、金塊ベースの開削供給は順調であったとみられるのにデフレは進行した。古典的な中立説によれば、経済システムの中の金塊量が増えればインフレになるが、貨幣中立説では説明できない現象が起こっていた。これは産業革命が成熟期に達し、欧米各国で商品供給力が急激に増大したことや、金銀複本位の交換レートが変動し、金が退蔵される傾向(グレシャムの法則)にあったことなどが要因であるが、革命や戦争、経済恐慌(英1836、英1847、英1857、英1866、欧州1873-1896[注釈 1])と物価の乱高下に悩まされ続けた。
20世紀

第一次大戦に起因する管理通貨制度の一時的な採用や、金本位制に復帰後の不胎化政策の採用などにより、ベースマネーと銀行券の発行量、物価に対する行政府や金融当局の関わり方、金融政策の指針は、より具体的で重要な課題として浮上した。

この頃アーヴィング・フィッシャー交換方程式や、アルフレッド・マーシャルあるいはその批判的継承者であるジョン・メイナード・ケインズのケンブリッジ方程式が提案される(後述を参照)。


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