貨幣改鋳
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貨幣改鋳(かへいかいちゅう、money recasting )とは、市場(しじょう)に流通している貨幣を回収してそれらを鋳潰し、の含有率や形を改訂した新たな貨幣を鋳造し、それらを改めて市場に流通させることである。経済政策の1つとして行われることもある。
改鋳の目的

歴史的には改鋳によって従前より貨幣量を増やし、増えた分を益金(シニョリッジ)として得ることを目的として行われるものが多かった。

貨幣量を増やす方法は、元禄改鋳を例にとると、金純度86パーセントの小判の金の含有率を56パーセントに減らしている。純分量が約3分の2に減ったことで、従来の小判2枚分の金で改鋳後の質を落とした小判を3枚鋳造できる計算になる。つまり、改鋳によって従来の貨幣量を約1.5倍に増やすことができ、その増えた0.5倍分の小判が幕府の益金となる[1]。このようにして貨幣の質を落とすことによって利益を得る政策を、新井白石は「陽(あらわ)にあたえて陰(ひそか)に奪う術」[2]として激しく非難した。

こうした貨幣量を増やす改鋳は主に、支出の増加により悪化した財政の補填、大火や地震などの災害復興のための費用、戦費や軍隊の維持費などを捻出するために行われた。その反対に、貨幣量を減らす改鋳は、貨幣を貴金属の含有量を減らされる以前の質の高いものに戻すために行われた。これは貨幣量を減らすことが目的ではないが、増加した貨幣の全てを質の良いものにするだけの貴金属が確保できないために、結果的に貨幣量が減ることになったのである。

ローマ帝国では、帝国の版図拡大と辺境のゲルマン諸国の侵攻の活発化によって軍事費が拡大し国家予算の70パーセント以上を占めるようになったこと、東方との貿易で香料や宝石、陶磁器などを購入するために金銀貨が国外に流出したこと[3]から、長年にわたって貨幣の改鋳が繰り返された(#ローマ帝国参照)。

また、実物貨幣は素材が貴金属であるために、金銀比価の変化に伴う金と銀の相場の変動によって、貨幣そのものが投機の対象となる。そのため、海外の金銀交換レートの違いによって国内の貨幣が流出してしまう事態が生じる(#安政・万延の改鋳#イギリス参照)。
経済への影響

改鋳が経済におよぼす影響は、市場に流通する貨幣量の変化と、貨幣の質の変化によって発生する。
貨幣量の増減

貨幣量の増加はインフレーションとそれに伴う物価の上昇を、減少はデフレーションと物価の下落を引き起こす。杵築藩の学者・三浦梅園正徳年間に貨幣改鋳を行なった新井白石は貨幣数量説に基づいて「貨幣量が増加したことが物価の上昇をもたらした」という考えを主張し[4]天保の改革の際に株仲間の解散令に反対した矢部定謙や、弘化年間に町奉行に再任した遠山景元は、文政から天保期の物価上昇は貨幣改鋳が原因の1つであるという意見を提出している。16世紀フランスではジャン・ボダンが「高物価の原因は金銀の豊富さ」であることを立証しようとしている。ただし、物価は農作物の豊凶や災害など当時の社会情勢によっても変動するので、貨幣の改鋳のみが物価上昇の原因とすることはできない。

改鋳によるインフレーションは、貨幣価値の下落=貨幣の購買力の低下=平価切り下げとも言われるが、一方で市場規模の拡大と経済成長は、貨幣への需要を増加させる。改鋳による貨幣量の増加は、市場経済の拡大に伴う貨幣の需要増に対応し、貨幣の供給増は円滑な市場取引を促した。その反対に、拡大した市場に見合うだけの貨幣量が無ければ通貨不足が発生し、人々は物品の購入やサービスに使う金を節約するようになり景気が落ち込む。また、貨幣の不足は高金利を、そして高金利は投資不足と失業をもたらす。荻原重秀による元禄の改鋳により、通貨流通量が増加したにもかかわらず、17世紀後半以降日本では大きな物価上昇がみられなかったことは、経済規模の急速な拡大にともなって恒常的に相対的な貨幣不足の状況にあったという研究もある[5]

しかし、当時の物価は大坂における銀建ての商品相場を指し、改鋳では金貨に対し銀貨の品位低下率が小さかったため金貨が敬遠され、また旧銀が退蔵されるなどし銀貨が払底したため銀高金安となった。そのため江戸においては物価は上昇した[6]。元禄改鋳について通貨供給量増大という現代的観念を持出して評価する向きもあるが、当時は中国や朝鮮など海外との交易では金銀は国際決裁手段として用いられていたのであり、大坂の両替商など商人らの取引に於いて貨幣の素材価値が交換の媒体としての意味を失っておらず、当時の通貨の未発達な段階に於いて品位を低下させ名目価値を増大させても、実質価値としての通貨増大という経済的意義にはつながらないとする見方もある[7]。また、グレシャムの法則の作動による良質の旧金銀の退蔵は通貨量にも影響をおよぼし、市場に於いて鋳造量に見合うだけの通貨増大にはならない[8]

市場の拡大と金銀産出量の減少、それに貿易による金銀貨の海外流出[9]など、様々な要因が17世紀後半の日本国内の貨幣の不足をもたらしていた。そのため、荻原による貨幣量を増やす改鋳は「リフレーション(通貨膨張)政策」として評価され[10]、貨幣不足を解消し物価を安定させた元文期の改鋳(#元文の改鋳参照)も同様の評価を受けている[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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