豚肉(fresh, loin, whole, separable lean and fat, raw)100 gあたりの栄養価
エネルギー828 kJ (198 kcal)
炭水化物0 g
糖類0 g
食物繊維0 g
脂肪12.58 g
飽和脂肪酸4.36 g
一価不飽和5.61 g
多価不飽和1.34 g
タンパク質19.74 g
トリプトファン0.244 g
トレオニン0.891 g
イソロイシン0.91 g
ロイシン1.572 g
リシン1.766 g
メチオニン0.514 g
シスチン0.248 g
フェニルアラニン0.785 g
チロシン0.676 g
バリン1.064 g
アルギニン1.245 g
ヒスチジン0.77 g
アラニン1.158 g
アスパラギン酸1.814 g
グルタミン酸3.044 g
グリシン1.019 g
プロリン0.838 g
セリン0.815 g
ビタミン
ビタミンA相当量β-カロテンルテインと
ゼアキサンチン(0%) 2 μg(0%)0 μg0 μg
チアミン (B1)(78%) 0.901 mg
リボフラビン (B2)(21%) 0.248 mg
ナイアシン (B3)(31%) 4.58 mg
パントテン酸 (B5)(14%) 0.723 mg
ビタミンB6(36%) 0.472 mg
葉酸 (B9)(0%) 1 μg
ビタミンB12(22%) 0.53 μg
コリン(14%) 69.7 mg
ビタミンC(1%) 0.6 mg
ビタミンD(4%) 21 IU
ビタミンE(1%) 0.21 mg
ビタミンK(0%) 0 μg
ミネラル
ナトリウム(3%) 50 mg
カリウム(8%) 356 mg
カルシウム(2%) 18 mg
マグネシウム(6%) 21 mg
リン(28%) 197 mg
鉄分(6%) 0.79 mg
亜鉛(18%) 1.74 mg
マンガン(1%) 0.011 mg
セレン(47%) 33.2 μg
他の成分
水分66.92 g
コレステロール63 mg
単位
μg = マイクログラム (英語版) • mg = ミリグラム
IU = 国際単位
%はアメリカ合衆国における
成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。
出典: USDA栄養データベース(英語)
豚肉のアミノ酸スコア[1][2]
豚肉(ぶたにく、とんにく[3])とは、食肉にされる豚の肉。ポーク(英語: pork)とも呼ばれる。
日本での歴史詳細は「日本の獣肉食の歴史」を参照
日本では弥生時代の遺跡から出土し当初イノシシと思われていた骨が豚の骨と判明した。古墳時代の遺跡からも豚の骨は出土している。『日本書紀』、『万葉集(萬葉集)』、『古事記』に猪飼、猪甘、猪養などという言葉があり(「猪」は中国ではブタのことを指す)、その当時は日本でも豚の飼育が行われていたことが窺える。
その後、675年に最初の肉食禁止令が出され、天武天皇5年4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ、ウマ、ニホンザル、ニワトリ、イヌ)の肉を食べてはいけないとされたが、これに豚は含まれていなかった。戦国時代にキリスト教イエズス会の宣教師たちが、キリシタン大名たちを介して肉食の慣習を日本に持ち込んだため、一時的に豚肉が食べられるようになった。
やがて日本の大部分の地域では豚肉を食べる習慣は廃れ、わずかに薩摩藩と南西諸島では日常的に養豚が行われていた。琉球では17世紀以前は牛肉がその座を占めていたが、羽地朝秀の改革によりウシ食用が禁止され、その後、中国からの冊封使節団を接待するため王府によりブタの大量生産が奨励された事なども相まって、牛肉に代わる存在となっていった。そして、現在の沖縄料理では最も重要な食材となっている。沖縄で飼育されている豚は、1385年に渡来したという、琉球王国時代より続く血統の黒豚「アーグ」が有名。「アグー」または「シマウヮー(“島豚”の意)」とも呼ばれる。瀬戸内海の諸藩では朝鮮通信使のもてなしのため養豚が行われていた。1782年(天明2年)頃、広島に立ち寄った医師橘南谿の「東西遊記」によると、城下町のそこかしこに豚がいるのを見て驚いたと記されている[4]。また、岡山では県内の近世遺跡から猪も豚も出土し、特に豚は岡山城二の丸や城外堀などで出土しており、近世には岡山城周辺では豚が流通していた可能性がある[5]。
一方、薩摩でも、豚肉を用いた薩摩料理が発達した。1827年(文政10年)の佐藤信淵著『経済要録』には、薩摩藩の江戸邸では豚を飼育し、それによって取れた豚肉を町で売っていたという記録が為されている。また、江戸ではももんじ屋などで食べられた。1845年(弘化2年)5月2日の書簡によれば、江戸幕府最後の征夷大将軍・徳川慶喜の父・徳川斉昭宛てに、薩摩藩の島津斉彬から豚肉が送られていたという。そのせいか、慶喜は豚肉を好んで食べており、下々の者たちから「豚一様」と呼ばれていた。「豚一様」とは、「豚肉がお好きな一橋様」の略称である。西郷隆盛も脂身のたっぷりついた豚肉料理が大好物だったという。新選組も西本願寺駐屯時に、松本良順の勧めで神戸から子豚を持ち込んで養豚し、食べていた。豚の解体は京都木屋町の医者・南部精一の弟子に依頼していた。福澤諭吉著『西洋衣食住』には、大坂にあった緒方洪庵の適塾にて学ぶ塾生たちも豚を食べていたとある。
明治維新以後は日本全土で豚肉が一般に食べられるようになり、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』にもそのことに関する記述が見られる。1916年、東京帝国大学教授である田中宏による『田中式豚肉料理法』が出版されると大正天皇の食事にも豚肉が用いられるようになった[6]。日本においては、地域によらず平均的に食べられている[7]。