豊田車両センター
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豊田車両センター
豊田車両センターに留置されているE233系
基本情報
日本
所在地東京都日野市東平山3丁目
鉄道事業者東日本旅客鉄道
帰属組織首都圏本部
所属略号都トタ
最寄駅豊田駅
管轄車両E233系209系201系
旧称豊田電車区
開設1963年(昭和38)年11月24日
車両基地概要
敷地面積85,746 m2
留置線本数23本
検査線本数5本
洗浄線本数3本
その他設備通路線2本
引上線1本
車両洗浄機1機
車輪転削機1機
最大収容両数460両
配置両数
電車713両
合計713両
備考2022年4月1日現在のデータ
敷地面積は有価証券報告書の値[1]
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豊田車両センター(とよだしゃりょうセンター)は、東京都日野市東平山3丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。同社首都圏本部の管轄。下部組織として武蔵野市に武蔵小金井派出所(旧・武蔵小金井電車区)および立川市に立川派出所を持つ。
概要[ソースを編集]
本所[ソースを編集]

当車両基地は、中央本線中央線快速豊田駅西方に位置し、同駅を介して出入庫が行われる。中央緩行線中野 - 三鷹複々線延伸に伴う車両数の増大に対応して、新設した車両基地である[2]。当車両基地の用地は、戦時中に国鉄が車両工場を移転をするために買収をしたが[2]、実際には工場の移転は行われず、野球場寄宿舎などとして使用していた場所である[2]
武蔵小金井派出所[ソースを編集]

中央快速線の輸送力増強に伴い、従来から使用してきた中野電車区・三鷹電車区(当時)だけでは収容力が不足することから[2]、1955年(昭和30年)4月に三鷹電車区武蔵小金井派出として発足した[2]。1957年(昭和32年)5月には電車区としての整備に着手し、1959年(昭和34年)9月1日に武蔵小金井電車区として発足した[2]

2004年(平成16年)3月に配置車両は豊田電車区に転属し、以降は車両無配置となった[2]

敷地面積:45,623 m2[1]

収容車両数:約200両

立川派出所[ソースを編集]

首都圏の各車両センターが配置している派出検査所の一つで立川駅に常駐している。主に同駅発着列車に対して、軽微な修繕や状態確認、近隣での人身事故時の車両確認等を行う。

同派出所は豊田車両センターの出先機関であるため、同センター所属の社員が業務を担当している。
歴史[ソースを編集]豊田車両センター周辺の空中写真(2019年8月撮影の写真)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1962年昭和37年) - 電車区の建設工事に着手[2]

1963年(昭和38年)11月24日 - 40両収容の豊田駅電留線として使用開始[2]

1965年(昭和40年)10月1日 - 260両収容の武蔵小金井電車区豊田派出となる[2]

1966年(昭和41年)11月10日 - 460両収容の豊田電車区が発足[2]

発足当時は東洋一の規模を誇った。主に中央線青梅線五日市線の車両を担当。後に武蔵野線相模線の車両を担当。当時の略号は「東トタ」。


1969年(昭和44年)3月1日 - 東京鉄道管理局が分割されて東京西鉄道管理局が設置される。略号は「西トタ」。

1971年(昭和46年) 2月1日 - 青梅電車区の検修業務廃止に伴い、青梅線用車両が移管[2]

1974年(昭和49年)12月ごろ - 橋本派出所が暫定完成。当時は4線しかなく、そのうちの1線は非電化だった。


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