豊田 皓(とよだ こう、1946年4月28日 - )は、日本の実業家、記者。
フジテレビジョン代表取締役社長、日本民間放送連盟副会長、フジ・メディア・ホールディングス・フジテレビ取締役副会長、サンケイリビング新聞社代表取締役社長・会長を歴任した。 高校・大学ではラグビー部に所属[7]。趣味は読書で、学生時代は小説やシナリオを書いていた。 作家・椎名誠とは友人である[8]。
経歴
1965年 - 東京都立小石川高等学校卒業[1]。
1971年 - 成城大学経済学部卒業。
1971年4月 - フジテレビ入社。総務・社会部記者・制作・営業などに配属。
1997年6月 - 営業統括本部営業局長
2001年6月 - 取締役(営業担当)
2005年6月 - 常務取締役(営業・ネットワーク・事業・ライツ開発担当)
2007年6月 - 代表取締役社長
2012年4月1日 - 日本民間放送連盟副会長[2]
2013年6月27日 - 代表取締役副会長[3]。
2014年9月29日 - サンケイリビング新聞社代表取締役社長[4]。
2015年6月22日 - サンケイリビング新聞社代表取締役会長[5]
2017年6月 - フジテレビ代表取締役副会長を退任。
2018年4月 - 旭日重光章を受章[6]
人物
同期入社
須田哲夫(フリーアナウンサー、元フジテレビ嘱託アナウンサー)
大川和彦(競馬中継・プロ野球中継などを担当)
石毛恭子(「ママとあそぼう!ピンポンパン」2代目お姉さん)
三上彩子(「フジテレビ・アナトレ」アナウンスコース特別講師)
沢雄二(「FNNスーパータイム」・「報道2001」の元プロデューサー、前公明党参議院議員)
エピソード
社長就任後、「はねるのトびら」(2007年7月25日放送分)に初の出演。
「爆笑レッドカーペット」では、放送期間延長や放送時間変更などの『辞令』を下すことがあった。
「FNSの日」では2007年の第21回から5代目の製作総指揮を務め、副会長就任後も2016年の第30回まで制作代表として番組制作に携わった。
関連項目
吉崎典子(かつての部下で、豊田副会長の秘書役を務めた。なお、吉崎は豊田をボスと呼んでいた[9])
藤村さおり(かつての部下で、成城大学の後輩でもある)
大島由香里(かつての部下で、成城大学の後輩でもある)
脚注^ ⇒小石川高校ラグビー部後援会会報 Vol.8
^ 歴代会長・副会長
^ 人事 フジテレビ役員(MSN産経ニュース)2013年6月28日3:00配信
表
話
編
歴
フジテレビ歴代社長・会長
歴代社長 1
水野成夫1957.11-1963.11
鹿内信隆1963.11-1974.11
浅野賢澄1974.11-1982.5
石田達郎1982.5-1985.6
羽佐間重彰1985.6-1988.6
日枝久1988.6-2001.6
村上光一2001.7-2007.6
豊田皓2007.7-2013.6
亀山千広2013.6-2017.6
宮内正喜2017.6-2019.6
遠藤龍之介2019.6-2021.6
金光修2021.6-2022.6
港浩一2022.6-
歴代会長 1 2
植村甲午郎1957.11-1974.11
鹿内信隆1974.11-1982.5
浅野賢澄1982.5-1985.6
鹿内春雄1985.6-1988.4
鹿内宏明1988.4-1992.7
日枝久2001.7-2017.6
嘉納修治2017.6-2019.6
宮内正喜2019.6-
歴代フジMHD社長 1
豊田皓2008.10-2013.6
太田英昭2013.6-2015.6
嘉納修治2015.6-2017.6
宮内正喜2017.6-2019.6
金光修2019.6-
歴代フジMHD会長 2
日枝久2008.10-2017.6
嘉納修治2017.6-2019.6
宮内正喜2019.6-
1便宜上、1957年11月18日設立の法人(旧・フジテレビジョン→現・フジ・メディア・ホールディングス)時代から通しで記載。
8代目社長(豊田皓)在任途中分、ならびに6代目会長(日枝久)在任途中分より2008年10月1日設立の法人(新フジテレビジョン)分を記載。
21992年7月?2001年6月の会長職は空席。
表
話
編
歴
フジサンケイグループ / フジ・メディア・ホールディングス
統括会社(持株会社)
フジ・メディア・ホールディングス2
フジテレビグループ
(Template)
フジテレビジョン3(新社)
BSフジ3
共同テレビジョン3
フジクリエイティブコーポレーション3
NEXTEP3