とよだ きいちろう
豊田 喜一郎
豊田の肖像写真
生誕1894年6月11日
日本 静岡県
死没 (1952-03-27) 1952年3月27日(57歳没)
出身校東京帝国大学工学部卒業
職業第2代 トヨタ自動車工業社長
配偶者豊田二十子
子供豊田章一郎(長男)
豊田達郎(二男)
西田百合子(長女)
斉藤和可子(二女)
親豊田佐吉
栄誉従五位勲四等瑞宝章
日本自動車殿堂殿堂者
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豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:豐田喜一カ、1894年(明治27年)6月11日 - 1952年(昭和27年)3月27日)は、日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者[1]。位階は従五位。勲等は勲四等。豊田佐吉の長男。
トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)社長(第2代)、社団法人自動車技術会会長(第2代)などを歴任した。
来歴・人物夢と学びの科学体験館(刈谷市)。豊田喜一郎の足跡が紹介されている。
豊田佐吉と佐原たみ(佐吉の妹の友人で最初の妻)の長男として生まれる。1892年(明治25年)から夫婦は東京市浅草外(当時の浅草区千束町)に住んでおり、里帰り出産のため静岡県敷知郡吉津村山口(現在の湖西市山口)で生まれるが、出生3か月のとき、貧困の中家庭を顧みることなく発明に没頭する夫に愛想を尽かした母親が家出したため祖父母の家で育つ[2][3]。3歳で父・佐吉の住む愛知県名古屋市(現・同市東区)に転居し、東区武平町や西区島崎町、栄生町の工場内に住む。のち名古屋市白壁町の家に住む[2][4][注釈 1]。高岳尋常小学校(現名古屋市立東桜小学校)[1]、愛知県師範学校附属小学校(現愛知教育大学附属名古屋小学校)[1]、旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、第二高等学校(現東北大学)甲組工科を経て、1920年東京帝国大学工学部機械工学科卒業[2]。